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「養われること」に対する罪悪感

養ってもらうことに、私は抵抗を持っていることに気がついた。
私以外にも、おなじような人がいるかもしれない。

養ってもらうことを考えると、なんだか居心地が悪くなる。
養ってもらうと、相手に申し訳ないと思う。
相手が自分を養うことを嫌なことだとか、辛いことだとか、
不幸なことだと思う気がするから。

相手に、養われる価値がない、
というふうに考えているのかもしれない。

とにかく、相手は養うことに対して、「嫌々」やっているに
違いないと思ってしまうのだ。

そんなこと言われていないし、相手が望んでやっていることだとしても。
そのくせ、養われている人が羨ましくてしかたなかった。
でも、いざ養ってもらえそうになると、
「怖い」と感じている自分がいた。

相手が「嫌々」私のために働いている、という前提があると
相手に対して申し訳なくなる。
自分も居心地が悪くなる。

原因を探すとすれば、
親の「養っている」という恩着せがましさだったと思う。
そのことで、いつも自分の存在を負い目に感じ、
養ってもらうことは悪いことだと感じるようになった。

けどいま、自分で働くことができない今、
そのことに向き合う必要があると感じている。

相手は、「嫌々」やっているのではない。
そして、そのことを私自身が「歪んで」見ているのだということを
認識する必要がある。

そして、自分を安心させてあげる必要がある。

今はなんとなく罪悪感を感じるのも無理はない。
けれど、私が感じている罪悪感は幻想で、
いつまでもその中にいる必要はない、と。

はじめのうちは罪悪感を感じるものだ。
けれど、それが幻想だと言い聞かせているうちに、
だんだん大丈夫になってくるはずだ。

「私は相手に罪悪感を感じている。けれど、これは幻想。」

そうやって「思い直し」すればいい。

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