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何度も何度も。


夕方東京に戻りました。

この休みは、
実家でいつものように過ごしながらも、
何かの拍子でついハムのことを話す、
そんな日々でした。

部屋で1人でいるときは、
スマホに入っている
ハムの写真や動画を見てばかりいました。

お迎えした日からの写真や動画が
たくさんあるのに、
なぜか見るのは、
4月初めに体調を崩してからの
最後の日々のものばかりです。

なぜかそれを見たくなるのです。

理由は自分でもわかりません。

ハムが大変そうにしている
写真や動画ばかりなのに…

思えば、ハムの最後の日々、
日にちの感覚が、
ちょっとおかしくなっています。

亡くなるまでの経過は覚えているのに、
いつ体調がおかしくなって、
いつプチ復活して、
亡くなる前の日、
何時ごろから呼吸がおかしくなって…
そういう記憶が曖昧なのです。

それだけ自分が入り込んでいた
ということなのでしょうか。

東京に戻り、
骨壺をケージに置きました。

ハムの存在感は、
ばっちり部屋の中にあります。

なのに姿形が見えない。

変な感じだな、と思います。

寂しさや悲しさを
自分は多少克服したつもりでいたけれど、
部屋に帰ってくると、
そうでもないかもという気がします。

しかし、
飼主がいつまでもメソメソしていては、
ペットも浮かばれないといいます。

湿っぽくならずに、
でもいつも心のどこかに、
ハムのことを置いておいてあげたい。

そんなふうに思います。

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