こどもの権利
なにかと、
大人の都合を押し付けていませんか?
だの、
怒ることはオトナが快感を得るためにやっているとこ
だの、見ることが多いのですが、この手の言葉って苦手。
だって、大人にも都合があるし、怒ることに快感もなく、何ひとつ解決していかないとわかっていても、まじでそれしか手段がないときがある。
大人が怒って何がいけないんだろう。
オトナだって人間だから怒るよ。
大人と子どもでは絶対的な力関係がそこにあるから!と言うかもしれない。
でもね、ステキな怒らない子育てを説いてくれる人たちは、まず、子育てアドバイスしてます!キラキラ✨というポジション以上の人が多い。
そういう人が自分のこどもに話しかけてるときの様子を見てて、え?まじで?となったことがある。
父「それ(人がたくさん居る状態でクイックルワイパー)、今やらなくていいから、やめといて」
横から母「○○ちゃんは、これ今やりたいと思ったのね!おてつだいね!たすかるぅ!」
娘「得意顔」
さて、このやり取りを見て、確かに母親は、子どもを否定しないことは、できているけど父親のことは無視して否定してるやん。
子どもさえ否定しなければいいというわけではないと思うのです。
私個人としては
明確な理由なくとも、絶対的なチカラがあるという意識は大切
コドモにもいろいろな権利はあって、それを踏みにじれというわけではなく、オトナが我慢したり蔑まれてまでコドモの権利を優先させる必要は無いとおもうのです。
オトナだって人間だからブチ切れることもあるし、ただ、腹の虫の居所が悪いときもある。それをコドモに見せて何が悪いんだろう。世の中権利を主張したら認めてもらえるという人たちで埋め尽くされたらそれはもう社会が成り立たない。
今、するときではない、ことを伝えることに何の問題があるのか。正義は正義だからと振りかざすことで、傷つく誰かが居ることを教えることの重要さが抜けている。
いつも、神様仏様はあなたを見ているよ。
これは、私がよく使うフレーズ。加えて、善い行いも悪い行いも両方見ているから。と。
つまり、いつ誰に見られても恥ずかしくない行いをしてほしい、ということ。
素直であればある程「正しいこと」への執着は強いので、行動を肯定し続ければ、認めない相手が間違っているという認識が強くなる。
家庭は小さな社会だからこそ、コドモばかりに目を向けるのではなく、そこでないがしろにされた、別の角度から見たらとても正しいことを言ったお父さんに目を向けることも教えてあげたい私が居る。
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