老いと死を子どもたちに伝えるということ
我が家は現在絶賛ダブルケア中。
ダブルケアという言葉は耳慣れない人もまだまだ多いと思いますが、育児と介護を同時に行うことをダブルケアと言います。
子どもたちは幼稚園児2人と未就園児1人。すべて男の子。要介護者は夫の祖母93歳、脳梗塞後遺症で右半身麻痺があり、車椅子生活です。
今どき、珍しい家族構成の我が家です。
子どもたちも日頃から私がおばあちゃんのお世話をしているところを見ているし、生活自体が子どもとおばあちゃん主体のものとなっており、子どもたちは身近に老人と密に接する生活を送っています。
そんな生活の中で、まだ5歳の長男は彼なりに老いること、死ぬことを考える機会が自然と増えているようです。
今日の寝る前の会話が中々興味深いものでした。
「お母さんは年をとったらどこかへ行っちゃうの?」
以前、長男に私は年をとって介護が必要になったら、お泊りする施設に入りたい、と話したことがありました。たしかその時は、長男も私のようにおばあちゃんになった私の世話をしなければいけないのか?というような質問をしたと記憶しています。
私は介護をしているけれど、決して楽しいものではないし、自分が息子たちやその嫁にお尻を拭いてもらうことを考えるとどうしても嫌なのです。だから、施設の話をしました。
「うーん、そうだね。そうなったらどうする?」
息子「たまには会いに行くわ」
私「え!?たまになの!?」
息子「だって仕事とかあるじゃん。だから毎日は行けないよ、大変だもん」
あまりの具体的な想像に笑ってしまいました。でも、そういうことなんですよね。やっぱり寂しいなぁ、とも思い、
私「まぁ、でも、わかんないよ。おうちのおばあちゃんみたいに家に居れるかもしれないし」
そういうと、息子は少し考え込みました。
息子「でもぼく、お母さんみたいにご飯作れないし…」
もしかしたら、トイレのお世話や大変な部分を彼も想像したけど、触れてはいけないと思ってご飯の心配にすり替えたんじゃないかと思います。
このやり取りで、私が感心したのは
人は必ず老いるということを5歳児が理解しているということ
そして、続けてこう言いました
息子「お母さん、おばあちゃんになっても僕のこと忘れないでね」
ずっしりと、心に響きました。私の実家の祖母は認知症がかなり進み、いろんなことを忘れているので、息子たちのことは覚えていないとおもいます。なんとなく、それも感じているのでしょう。
我が家のおばあちゃんは、認知症は無いのですが脳梗塞後遺症で失語症の症状もあり子どもたちや私の名前は出てきません。
年を取り忘れてしまう
それは息子にとってとても怖いことだったようです。
私「そうだね、忘れたくないなぁ。でももし忘れちゃったとしても、心の中にはきっと覚えてるから大丈夫」
さらに少し考えて
息子「お母さんもいつかいなくなっちゃうの?」
って聞いてきたので
私「そうだね、仕方ないよね、順番だもの」
と答えると怖いからもうやめて!と。
私「怖いことじゃないよ。だって誰も死ななかったら地球の上に乗り切らなくなっちゃうでしょ」
泣きそうになったのでここでやめて、楽しい話に変えました。
老いること。死ぬこと。我が家の息子たちにとってはとても身近なことです。
これは、ごまかしたり茶化したりしても仕方がない。近い将来、10年以内にはおそらく、おばあちゃんの死と対峙する日が来るから。
もしかしたら私が先かもしれないしそれはわからないけれど。
ただ、今は老いることも死ぬことも、子どもにとっては恐怖なのかもしれないけれど、このことを考えることはとても大切なことです。
そうすることで、大切な家族との過ごし方を考えられる気がするからです。
産まれたときから家におばあちゃんがいる子どもたちは、自然と、おばあちゃんを大切にしてくれます。
年を取れば、弱る。当たり前のことだけど、それを知ることで誰かと過ごす今日1日を大切にして欲しい、そう願っています。
ぼくのことを忘れないで。その気持ちはすごく嬉しいので、私は忘れない努力をしたいと思います。
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