1095日の生き様 ①~0日目~

皆様お疲れ様でございます。

先日はB級アイスホッケーについて、たくさんの反響ありがとうございました。今後も何かやれる事をやりながら、次世代の若い子達が仕事をしながらアイスホッケーを、ある程度ハードに、ある程度楽しく、やれるB級というカテゴリーを維持できるように頑張っていきます。

さて本日は、先般のtwitterアンケートの結果、

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このような結果になりましたので20年前の駒澤高校IH部について綴っていこうと思います。

なお、当件の内容については私のツラかったけど今となっては良い思い出として紹介しており、決して当時、現在の駒澤高校IH部を否定しているわけではございません。ましてや20年前の内容であり、現在の駒澤高校とは、ほぼ無縁の内容である事を承知の上でご覧ください。

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また、濃すぎる3年(1,095日)だったので全ては表現しきれませんが、このシリーズは何部かに分けて綴ります。
宜しければ最後までお付き合いください。

まず、入学前(中学3年時)のスカウティングについて
あくまでも当時の話になりますが「こいつは駒澤行くべ」と世間的に判断される選手については他の高校も特待・推薦のスカウト枠を使いたくないからなのか、無駄に声をかける事は少なかったと思います。
そして「駒澤から声が掛かる」これは当時の中学生にとって最高のブランドでした。

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他の同期達が埼玉栄などのスカウトに呼ばれ説明され心動いている姿が羨ましかった記憶があります。
私と大澤卓也は明らかにスカウト数が少なく周囲は「駒澤から声掛かるからだべや。」と処理されてましたがとても不安でした。

その後、私が駒澤以外から唯一声が掛かったのは「水戸短期大学附属高等学校(現:水戸啓明高等学校)」でした。
水戸短は初年度、海外留学も込みのS特待扱いで私をスカウト。
当時、有頂天中学生だった私は『海外いっちゃおぉ~かなぁ~』なんて、図に乗ってたのは言うまでもありません。
(結果、丁重にお断りさせていただきました)

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ですが実は私自身、最初の入学希望は苫小牧工業でした。(家近いし)
叔父の影響でパソコンが好きだったので情報処理の体験入学まで行きました。

そしてキッカケは覚えてませんが北海高校に入学したい!と中学生らしい気変わりを起こし、自ら先輩に連絡し、北海高校もビックリして急遽受け入れの体制を整えてくれました。(思わせぶりの大迷惑をお掛けしました…)

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というように厳しくツライ駒澤高校に行く気なんて私にはサラサラなかったという事です。駒澤OBの父も、駒澤へ行け等のナビゲートは一切無く、好きなところ行けば?という感じでした。

そんな中、私の進学先を決める一言が彼の口から放たれます。

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大澤卓也「テラ、一緒に駒澤でやってみよ?」

私と共にスカウトが少なかった大澤に言われたその言葉がなぜか嬉しく感じ、まさかこの一言が己の甘さを痛感する現実行きのチケットとも気付かず、駒澤大学附属苫小牧高等学校行きの片道切符を握りしめる事にしました。

そして、あくまで私の推測ですが大澤は体内に肺を4つ備えており、長距離を走らせるとほぼ無敵状態。

無題

ですがこれが駒澤に入学する上では必須条件であり、彼から置いてけぼりを喰らう一番の原因になろうとは思ってもいなかったのです。

中学当時、常に2人で動いていた山田とは、和光中でいいほどオモチャにされて遊ばれたので、このままだと身体と心がモタないと判断し、ここでお別れする事にしました。(彼は白樺学園へ進学しました)

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駒澤への入学を決めたのと同時に気になるのはまず、駒澤の先輩は誰がいるか。という事です。

・和光の先輩だった斉藤剛が一個上の先輩だなぁ
・啓明の上手くて怖いイメージの百目木政人、鈴木雅仁、笠井大、小山亮、ここ話したことないし、こえぇなぁ
・釧路からも上手くて怖いイメージの斉藤哲也、佐藤翔、まったくの初対面、でも中学の全国で活躍した上手い人達だ…
・明野中は米澤、工藤、渡辺 この3人はなんか優しそう
・2個上は啓北の大音、光洋の香川小川勝也の兄、鈴木雅仁の兄かぁ

これが当時のイメージでした。実際には他にも偉大な先輩達はいました。
(わかりやすく、さん付けは省略させていただいてます)

この時は気付いておらず後に気が付くことになりますが1個上のゴールデン世代っぷりについては後日書こうと思います。

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そんな勝手で無駄で中途半端な心の準備をして2000年4月、寺尾幸也は駒澤大学附属苫小牧高等学校に入学していくのでした…。

~ 続 ~

≪次回予告≫
入学~GW編


てらを

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