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福祉の裾野は広く、専門性は高く

思えば、私は団塊の世代の子であり、ゼネコンに勤務していた親を見て育った私は、おそらく「当然に」サラリーマン人生が待っているのだと思っていた。「良い高校に行くこと」「良い大学に行くこと」=「良い会社に就職して、良い人生を送るということ」という、まぁなんとも曖昧で退屈な人生を、当たり前のように目指していた世代だった。その頃の自分を思えば、そんな人生しか描けていない、視野の狭い男になっていたのだが、その時代は、きっとそれが「幸せな人生」だったのだろう。

だからこそ、志望大学に落ちた私がどれだけ失望したか想像がつくだろう。自分が理想だと思っていた人生のコースから外れた瞬間だったのだから。で、結果的に通うことになった大学も、この時も、潰しが効く学部として「経済学部」を選択したのだが、そもそも経済学部も興味はなかったし、選んだ理由はあくまで「潰しが効く学部」というのが理由だ。本当に大学にも失礼極まりない選択だったと思う。こうやって人生を振り返ると、私は、人生の選択を自分で選んでこなかったのだと思う。入学まもないある日、新入生の学生が学内で飛び降り自殺したといううわさがあった。事実はなきものとして扱われたが、確かにあったらしい。私は死ぬという選択は思いもしなかったが、本当に目指すものがあり、それが叶わなかった人にとっては、それを選ばざるを得なかった気持ちは少しわかるような気がした。一浪して志望校に入学できなかった私も、それくらいにショックだったのだから。この時に、私が将来「障がい福祉」「児童福祉」の仕事につくなんて誰が思っただろうか。

私の身内には、(もしかしたらいるかもしれないが)障がい者もいなければ、特別障がい者に対してのお手伝いをした経験もない。別に障がい福祉に従事したいという「志」や「熱い想い」をもっていたわけでもない。私が直面したのは、一浪しても行きたかった大学に行けずに、その大学在籍中にバブルが崩壊して、あれだけ輝いて見えていた父親は、時代の波に飲まれて凋落し、卒業する年には大きな不景気の波に襲われ、就職できるかできないか?という瀬戸際のなか就職し、その仕事を3ヶ月で辞め、あっと言う間にフリーターになり、なんとなくその頃「ホームヘルパー2級」が熱いらしいと講習を受け、資格をとったものの、ヘルパーじゃ食べていけない現実に打ちひしがれ、ほぼフルコミッションのブラック企業に就職した私が、メンタルを病み数年で離職するという事実だけだ。今、ニュースを見ると、同世代がコロナの影響によって派遣切りにあって、ホームレスになる人が増えているという。でも、私もときどき、そのニュースをみて、胸が苦しくなることがある。なぜなら、一歩間違えたら、私もその立場にいたかもしれないのだから。

退職した26歳の私に、国家資格取得のための学びのチャンスが訪れる。それがはじめて私が手にした国家資格である「精神保健福祉士」だ。当時の私は、完全に興味のある世界であったわけもなく、ただ、将来への漠然とした不安と恐怖のなかで、目の前に示された機会をつかんだだけ。もはや、何かしないと先が見えない中、そのようなチャンスがそこにあったのだ。はっきり言えば、俗に言う高いモチベーションがあったわけではないが、弱り切っていた私のメンタルヘルスが、その選択を私に迫ったのだと思う。そこから私が統合失調症や躁鬱病、感情障がい、BPD、依存症、摂食障害、、、いろんなことを学んだ。実を言うと、当時の家族や親族からも学ばせてもらった。学習中に、精神科入院の同意書に保護者としてサインをしたこともあった。誰もがあるこころの弱さや闇に接することで、私自身が抱える闇に接することにもつながった。私自身がこころの弱さを抱え、私自身の課題に直面することになる。誰しもが、メンタルヘルスの不安定さを抱えているという自己覚知ができた。

私は、まったく関係のない業界からの参入組だが、私たちの仕事は、他者の人生に関わる仕事である以上、関わらせていただくという謙虚さと、やる以上は中途半端で接すべきではないということを心に留めている。だから、利用者に知らず知らずに横柄な態度をとる支援者を見ると、私の心がざわめくことがある。慣れというものは怖く、私自身もそのような態度をとっているのではと不安に感じることがある。経験が重なれば重なるほど、周囲に関わり方も変化してくる。周囲にはそういった人が多いからこそ、私自身は、反面教師にしなければならないと感じる。必ずしも「資格を取れ」とはいわないが、資格をとるぐらいに学んでほしいと心から思う。年齢を理由に学びを拒否するスタッフもいるが、うちでは止めさせない。止めるときは、辞めるときだ。あらたな知識に貪欲であってほしい。きっかけはあたり一面にあり、当事者や家族、支援者の様々な意見が、テレビ番組でも、SNSでも、ネットであっても散りばめられている。有名な先生にも直接触れることができる良い時代だ。もし事業所を経営・運営しているのであれば、そのきっかけを現場の職員に提供してほしい。経営するものが無知なら、事業所も無知の集まりになるだけだ。あなたが無知でも、現場職員には、学びの場を提供するべきだ。フランチャイズなら、本部に依頼するのも当然の権利だ。それができないFCなら、あなたは搾取されているだけだ。

私は、誰かに持ち上げられたいわけではない。しかし、学生時代の自分の人生があまりにも「自分を生きてこなかった」から、この年齢になって、自分の手で、自分ができることを模索しているだけである。時間が年々貴重になっていく。のんびりその時間を過ごして給与をもらえる時間はそう残っていない。70歳も80歳もなって組織の代表でいたいとは思わない。はっきりいえば、そんな世代が現場にいても、次の世代にとっては邪魔なだけだ。若い世代が、困った時に自宅に尋ねにくるくらいの距離感で十分だ。であれば、そうではない環境に身を置き、経済的関わりではない自由な関わりで地域支援をやっていきたい。あくまで理想だけど。

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