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人生に終わりに向けて、私たちは生きている。というお話。

幼い頃、「死」というものが極端に恐怖に感じることがあった。では、今はないかといわれれば、それは嘘になる。今でも「死」について考えることがあるが、論理的に考えても、どうすることもできないことが「死」である。もし、今、自分自身の余命が伝えられたら、私はどう感じるだろうか。恐怖に慄くだろうか?それとも、残りの人生をがむしゃらに生きるだろうか?いや、そもそも「死」を受け入れることができるだろうか?「死」に対する恐怖を感じながら、未だ、自分の寿命を短くするような人生を歩んでいるとも言えるわけで、あるいみ、死を畏れながら、真逆のことをしている。

今は、「終わり」を感じることはないが、だからこそ、テキトーに生きることもできた。若い頃は、毎日がそんな感じだったが、今は、毎日が瞬間のように過ぎていく。まさかとは思っていたが、すでに40代半ばの年齢にして、私は終わりをみながら「今」を考えてしまっている。何気に、私が仕事ができるのは、そんなに「ない」ことを悟っている。「明日できることは、明日でも良いじゃない」という歌詞のフレーズがあったが、その時は、そうだとも思ったが、今は、そんな余裕を感じることはない。「大袈裟」と言われるかもしれないが、実際は今できることを「明日する」なんて余裕はないのだと思っている。

年齢を重ねるなかで、「私は、今の人生に満足なのだろうか?」と思える場面に度々出くわすことがある。先日、児童通所施設の営業にアポをとってやってきた男性がいたが、年齢を聞いて驚いた。管理者であり、会社の代表がが20代前半の若者だったのだ。「この年で・・・素直にすげぇな。」が私の率直な感想。自分だったら、その年齢ではチャンスがあっても絶対に理由をつけて断っていたに違いない。彼は、チャンスを掴んだのだ。そこには嫉妬ではなく、ある意味、リスペクトすら感じている。結局のところ、運営者になると、必ずしも通らなければならないことがたくさんあって、それは、早かろうが遅かろうが同じなのだと、私は、今の年齢に達してわかった。彼も、また、年齢のせいか、私のような年上の人たちに話を聞いてもらえないので、今日は話をさせてもらって嬉しかったと悩みを話していたが、その場面は、きっと私が今はじめてもあるにちがいないのだ。そんなことを思った私は、彼の将来をそばで見てみたいとすら思っている(迷惑だけどw)。

もし、私が今の思いや考えを持っている状態で、年齢が若いままであれば、きっと、事業を拡大したり、より上を求めて取り組んでいたかもしれない。しかし、今の私は、「終わり」というものを感じながら、「今」の仕事をしている。事業の拡大以上に、『私がこうやって業務を通じてお世話になっている地域に何を残すのか?』ということの方を、私は何よりも大切に感じているのだ。地域に残すために必要な事業拡大なら喜んでするだろう。そして、私は自分の事業を引き継いでくれる人たちを、この地域から作っていきたいとも感じている。いつからか、私には、常に「私なりのソーシャルアクションを実行する」ことがテーマになっていた。自分のためでもあり、職域を担う職員のため、それこそが地域のためになると考えるようになった。そのために、同じ想いを持つ人たちとの「つながり」が必要になった。未来永劫、その想いがつづくことを求めて、私が、私の手で、私自身が決断して、その「つながる場」を作ることにした。

それが、「一般社団法人福岡・筑紫地区地域福祉支援協会」である。理念は、「地域福祉を担う、福祉職員の、福祉職員による、福祉職員のための場所をつくる」とした。まさに、自分の所属法人に縛られずに、自分がやりたいと思ったことを実現するための「法人」である。これが、私にとっての、初めて自分の手で作り上げた組織であり、私にとっての初めての「ソーシャルアクション」である。それは、きっと、私が「死」という終わりを意識しているからかもしれない。地域で仕事をさせてもらっている私が、地域のために何を残せるのか?思ったことをそのままにするのではなく、人生を後悔しないために、思ったらことばにして、仲間をつのって、まずはやってみる。うまくいけば、私がいなくなっても、誰かがその想いを次世代につなぎ、未来永劫続いて、地域の福祉に貢献してほしいと願い、任意団体ではなくあえて税金を払う「法人格」をとった。それが、今では、各分野の職員向けの研修を年30回行っている、『職能集団』なのだ。常に赤字運営だが、税金は払っている。だから、止まらずに活動をしている。(つづく)

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