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問題の「答え」を明確に示す相談支援専門員に気をつけた方が良い理由。

『相談支援専門員』はソーシャルワーカーであり、相談援助技術に基づいた対応が求められている(と私は考えている)。ソーシャルワーカーとは、問題を解決することではなく、本人の困っていること、将来の方向性といったことについて、解決に向けた自己決定を促すための支援者である。あくまで、ソーシャルワーカーは、利用者やそのご家族を「エンパワメント」していくことが重要だと思う。しかし、同じ同業者である「ソーシャルワーカー」の中には、まるで問題の答えを知っているかのような口ぶりで、利用者の支援を行う相談支援専門員の多いことに気づく。誰のための「相談支援専門員」なのだろうかと疑うこともある。もちろん、相談支援専門員であっても「ひとりの人間」であることは変わりはないわけで、「この利用者の現状をどうにかしてあげたい」「この苦しみから少しでも早く解放してあげたい」という気持ちは支援者として誰もが思っている。しかし、その相談支援専門員の希望で動かした先に何があるのだろうか?たとえうまくいったとしても、そこに至るまでに行なったことは、「相談支援専門員の言うことを聞いて、そのままを受け入れて、結果が出た」ということだけである。同じような問題が生じた時に、その人は、同じような判断が果たしてできるのだろうか?

私たちは、なんのために相談支援専門員としてここにいるのだろう。私には、利用者の代わりに決定をする(相談支援専門員が希望する答えを、ご本人自身が選択するように導く相談支援も同様)ことに対して、その責任の重さを痛感するし、畏れを感じてしまうし、とても私はその役割を買って出ることができない。私がやるべきことは、その人が自分で自分のことを選択するために必要な情報や選択肢を提示することだけである。そういった業務を毎日のように行なっている。今日も、利用者の女性から「私は美容関係の仕事をしたいんだけど、やっていいのだろうか?」と電話があった。背景は様々だが、今の現状をみながら、メリットやデメリットなどを(どちらかに導くのではなく)『バランスよく』伝えることはあっても、「やったほうが良い」「やるべきではない」といった結果を伝えたことはない。また、保護者から「息子を精神科受診に無理矢理でも連れて行ったほうがよいだろうか?」との内容の電話があった。私は、自傷他害行為や反社会的行動がないことを確認した上で、「受診につれて行ったほうが良い」「受診は本人に任せたほうが良い」といった結果を伝えたことはない。すべては、ご本人はどう思っているか?ご家族はどう思うか?を確認し、メリット・デメリットをお伝えしただけである。答えがすでにあるならば、「まずはやってみてはどうでしょうか?」と後押しするだけである。

『無責任』と言われるかもしれないが、私はこの考えで相談援助を行い、ご本人やご家族と信頼関係を崩したことはほとんどない。(すでに支援者に依存傾向にある人は、私から離れる傾向にある。それも、また自己決定。)むしろ、このようなことを継続していくことで、「私は(私たちは)こう決めたので、お伝えしておきますね!」という自己選択の結果を連絡頂くことが増えた。徐々に、私の存在は薄れていくが、それこそが私の役割だと思っている。もちろん、必要な支援は継続していかないといけないが。人の人生を左右する立場にいる私たち相談支援専門員が、私たちの意見や考えで相談支援を行なったのであれば、その結果責任は『相談支援専門員』にある。その責任の重さを痛感しながら支援を行う必要がある。

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