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宗教的考えは福祉に向いているが、福祉が「宗教」のようになってはいけない。

相談支援専門員として、ソーシャルワーカーとして一番恐れるのは、誰かの言うことを素直に聞いてしまう利用者をつくること。これは、本人の自己決定ではなく、依存であり、洗脳ともいえるのではないだろうか。ソーシャルワーカーである私たちは、あくまで本人の自己選択を大切にするため、どんな状況下においた決定も、自己責任の名において尊重する。利用者の特性や性格、そういったものへも寄り添いながら、本質的な部分で正しく選択をしていただく支援をするのが私たちの役割だと感じるからだ。であれば、私たち支援者の「私的な部分」が影響を及ぼすことはあってはならないし、だからこそ、「公正中立」な立場でサービスを提供していく必要があるのだ。

支援者であるならば、利用者が本当に本音を言いやすい環境をつくることが重要であることはいうまでもない。しかし、その背景には「これまでお世話になったから」といった理由で、新たなサービス導入を躊躇したり、それ以外のサービス利用を遠ざけたりすることがあってはならないし、もしそういった状況を支援者が感じるのであれば(というより感じる支援者であるべきだが)、支援者である私たちから、むしろ積極的にその縛りを取り除いてあげるべきだ。時に経験年数が長くなれば長くなるほど、立場が偉くなれば偉くなるほど、周囲はモノを言えなくなってくる。私自身も、だから本人や保護者に対して「私の支援は永遠ではない」利用者のライフサイクルを考慮して、「適切な時期にバトンタッチも検討すること」を常に伝えている。それを忘れてしまうと、利用者さんにとっての選択肢の幅を狭める結果になることもあるからだ。

自立支援は、ある意味、数多くの「依存できる対象者」をつくることでもある。しかし、その依存できる対象者が限定されるときは、絶対に注意が必要である。福祉には「唯一神」のような存在は必要ない。しかし、そのような方が複数存在することは、さまざまな知識や技術を獲得することになり、最終的に自己決定をする力を養うことができる。計画相談がそこにいるということは、まさにその中心でご本人やご家族をエンパワメントすることで「パワーバランス」を保ち、「自立/自律を妨げない依存」を作り上げていくことかもしれない。だから、一方的な支援者の、一方的なアドバイスには十分注意し、より検討を重ねた方が良いと思うのだ。「あの支援者はやめておいた方が良い」「あの事業所はあまり良いうわさを聞かない」といった、一事業所の支援者が流す一方的な情報で決断した先には、結果的に「支援者の幅を狭めること」にもつながる。

結果、「そこ以外の事業所は利用できない(させない)」状況を無意識のうちに作り出そうとする事業所は、着実に危険な一歩を進めていることを知っておくべきだと思う。その後の利用者に対する結果責任は、結局のところ誰も責任をとらないのだから。私たちは「選択肢」があることの幸せを、より認識し、守っていくべきだと思う。

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