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疫病退散?!?

ただただ水が、きれいな水が太陽の光を飲み込み、そこにある。

そしてみんないる。

水は自然そのもの。
生き物である人は、水が無くなったり、酸素が欠乏すると生きてはいけない。
なんと弱々しい。

それでも車に乗り
飛行機を飛ばす
地球の裏側から運んだチキンを安いと言って食う。

レジ袋?
トレーは?
太平洋に浮かぶ食料船は?
知らなければいけない事をコントロールされてはならない。

極限的な状況、コロナに見舞われながら
「悪病退散」とみなづきを食う、それもいいけど

やっと体内の自然と親密になったというのに。それだけじゃ、情けない

三密。
しかし、その関係性は人と人の間のことで。
止まったすべてのものの関係性を、一方通行だった関係性を、弱々しい生き物として自然と正中線を合わせて、素っ裸になって問うてみないと

自然そのものの水、空気、
それは他者ではない、生の一部。


ここにいられますように。

清浄とは何かを考え抜く事を繰り返し
くりかえし。雨の中で雨に濡れて
頭を虚しくして、佇んでみる、想像でもいい、極限の状態において求められたもの、何をしてはいけないのか、ゆっくり手放さなければいけないのか
悪病? と思っていたことが七代先の子孫にとっては、叡知の到来であったことに、できるはずの今に、ぼくたちは邂逅している。

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