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2023年を振り返る ⑤

先日、生徒がテスト範囲の確認中、あてられて英文和訳をしながら、あくびをした。

隠すこともなく、躊躇もなく・・・

私が、小言を言おうとすると

ー私、今回のテストはめっちゃがんばっとんの。だから、(あくびは)しかたがないの。

と言い出した。

私の返事は 

ー寝不足になって、授業中に答えながらあくびが止まらないほど寝ずに勉強することを「がんばっている」とは言わない。普段からコンスタントに『がんばっていれば』そんなことはない。

だった。

私のスタンスは普段からぶれないので教室にいたほかの生徒たち、講師たちは

「言われるわな〜、それは」

と、苦笑していた。

今年は特に、生徒たち、保護者の方々の学習に対する言動が、私をいら立たせることが多い。

定期試験は、テスト前だけ勉強して「頑張ったのに」、受験も合格したら、すごい

入試は通過点ー 
先に、もっとレベルの高い自分を磨く場所が待っている。

定期試験は反省をして次に生かしてナンボー
点数が良くても悪くても、そのできた自分も、できなかった自分も過去のものだ。

自分たちの努力や犠牲は最小限で
認めてアピールをしまくるのに
相手の時間や努力への配慮が少ない

自分のための努力はして当たり前で
人に自分たちのために何かをしてもらうためには、絶対に敬意は必須なのに。

不思議でしかない。

決して、生徒のがんばりを認めないわけではないー

けれど、本当にがんばった人は、多分、自分で「がんばったアピール」はしない。する必要がない。言わなくても認めてくれる人がいて、何も言わなくても自然に協力が集まるはずだ。

先日、父の「かめい英語教室」で講師をされていた方が、冗談を言い合いながら

「私、真面目やで」と、繰り返すので

ー本当に真面目な人は、自分が真面目やでなんて主張、そんなにしなくても良いんやよ。真面目やって自分で言わなあかん時点で、真面目じゃないんやって、と、いうか、周囲に「真面目」って思われてない証拠やで。

と言って、笑っていたけれど、それと同じ。

がんばっていると主張しなきゃいけない時点で、まだがんばりが足らない証拠。少なくとも、認められていないということ。

子どもたちにはそう伝えたい。

がんばったらがんばった分だけきっと、認められる。

だから、彼らのコンスタントなもうひとがんばりに私は期待する。

それは来年も再来年もきっと変わらないだろう。




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