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旅日記 第82回(2024年6月号)

てらこや新聞2024年6月号は、2024年6月10日に発行されています。upが遅くなったので、今回は無料で掲載することにしました。

イベリア半島、バスは北へ北へ

夜行寝台車駅
 モロッコの古都マラケシュから地中海の港町タンジェへ向かう夜行の寝台列車は安心だった。車両の両方の入り口には警備員が立って寝台車券をチェック、一般車両からは立ち入れなくなっていた。天井を間近に見ながら眠りにつく。ガタゴトと鳴るレールの音は心地よいリズムだ。

 200円(寝台車券)で安心を買った。そういえば、行き(カサブランカ行き)の切符を買うときも駅員に「寝台車にしなくていいのか」って聞かれた。あのとき、200円をケチってすごく怖い思いをした。忘れられない旅の思い出にはなったが、目的地であるカサブランカに到着するまで「寝てはならぬ。ずっと荷物を見とけ!」と警察官に言われた一夜の真っ只中にいる間は大変な思いをした。

 帰りは、マラケシュを出発したのは夜の8時20分でまだ早かったが疲れていたのだろう。安心しきった状態ですぐに就寝し、早朝5時35分の到着までグッスリと眠った。恐怖のナイト・トレインとつい比較してしまうが、安心という心の平安が快眠には強く作用したのだろう。

フェリー
 タンジェの港からフェリーに乗って、地中海と大西洋の狭間の海(ジブラルタル海峡)を横断しスペインへ帰る。来たときと違って船がグラッと大きく傾く揺れはなかった。何時ごろだったかメモにはないが、1月7日の朝のうちにスペイン最南端のアルヘシラスに着いた。船内預かりの荷物の受け取りは、半券を渡して引き渡しとなるが、そんなことはお構いなしに接岸と同時に乗客の群れが荷物室へ殺到。自分で荷物を持ってくる我先の群れにはいつもながらだがうんざりとする。

長距離バス
 イベリア半島南端の最もへんぴな場所にいるのに、3日後の1月10日にはロンドンからアメリカ東部のボストンに飛ぶことになっている。慌ただしくイギリスへと向かわなければならない。

 アルヘシラスのターミナルで交通手段を探すと、バルセロナまでバスに乗って、そこからさらにロンドンまで別のバスに乗り換えて行く方法があることがわかった。大変だけれどユーレールパスの有効期間が過ぎてしまっているので鉄道の乗り放題は効かない中では一番安い移動手段となる。

 午後1時発で翌朝9時にはバルセロナに着く。路線距離は880キロ。真夜中を猛速度でぶっ飛ばすバスだった。バレンシアとか立ち寄ってみたい都市の名前が過ぎてゆく。トイレ休憩はほとんどないのが一番困った。夜が明けてから朝9時までの時間が随分長く、到着が遅れて9時半ぐらいとなるバルセロナ大都市圏の移動がもっと長く感じた。

さあ、ロンドンへ
 ここから、さらに遠いロンドンまでバスで行かなければならない。バス代についてのメモはない。1万8000円だったかもしれないが、8000円だったと記憶している。出発は夕方5時30分。夜行半を乗った朝の9時半から夕方まで待ってまた夜行バスに乗るのはきつい。

 バルセロナで年末年始に泊まらせてもらった日本人オーナーのゲストハウスに電話をかけ、事情を話し、夕方まで休ませてほしいと頼んだ。すると、大きなバスタブにたっぷりの湯をはったお風呂と部屋まで空けて待っていてくれた。

 「夕方まで寝るといいよ」。ぐっすりと寝て疲れをとり、ダイニングに出ていくと、バス代と同じ値段でロンドンに行く飛行機を見つけてくれていた。

 値段は同じバスか飛行機の選択だ。迷うことはないが、夕方6時にバルセロナを飛ぶから迷っている暇はない。予約の電話を入れてもらい、地下鉄と空港バスを乗り継いで空港へと走った。

 広い空港の一番端っこまでバスで連れて行かれた先に停まっていた小さな飛行機。ちゃんとジェットエンジンは付いている。

 バルセロナの海が翼の下に傾いて見える。これで大陸ヨーロッパとはお別れだ。50分後にはロンドンだった。

 まだ果てしない夜と昼をまたいでバスで行く何十時間かの行程を大幅にショートカットさせてもらった。Yさんのおかげだ。

(1996年1月6日〜8日)

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