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信じる力

現在大学4年生の生徒たちが高校生だったとき1人の生徒が

「あなたが乗っているエレベーターが故障して停まった時、一緒にいる人を誰か1人選べるとしたら、あなたは誰がいいですか。1人選んで、その理由を書きなさい。」

という自由英作文の課題を持ってきたことがあった。

クラスメートとともに、自分ならどんな人を選び、どんな理由を述べるかと話し合っていると、1人の生徒が、私が全く思い浮かばない意見を口にした。

自衛官か、大物の政治家ー

理由は、自衛官なら脱出の方法を知っている可能性が高いし、大物政治家だったら、周りが救出に素早く動くだろうから―。

私は、甘ったれの末っ子なので、助けてもらえるのが前提で、閉じ込められた不安な時間をいかにして楽しく過ごすかを考えて

「平野紫耀くん」かなぁ~、理由は、楽しい時間を過ごさせてくれそうだからと応えていた。この差にびっくりして授業後、スタッフに聞いてみたところ、意見は半々に分かれていた。

脱出を考えて相手を選ぶ人と、救出は他人任せで、時間をいかにつぶすかを考える人ー後者は、私たち世代で、前者は比較的若い世代だった。育った時代を反映していたのかもしれない。

私は、当然のように助けてもらうことを前提としていたと言うと、若いスタッフの1人が

「先生は、いつも、まず人を信じて受け入れるからですよ。」

と、慰めて(?)くれていたけれど、彼女は生徒の意見の報告をする前に、消防士か、技師を挙げていた。

確かに、私はとりあえず人を信じてみる。これは何度痛い目にあっても、変えられない自分の性格だと思っている。

そして、仕事では、若い子の可能性はいつも信じている。生徒が希望を言ってきたら、まずは、できることを考える。できないことや限界を考える前に、とりあえず、彼らの言うことを聞いてみる。意見は率直にいうけれど

とりあえず、やってみよう。できることを考えよう!

と、声をかける。

子どもたちには計り知れない能力があり、それを私ごときが測ってしまうことができないことを知っているから。

だけど、同時に、私はむやみやたらに生徒を褒めることはしないーむしろ、ダメ出しをするほうだ。

それが、私のがこの23年足らず、この仕事を続けてこられた秘訣であり、このバランスを欠くようになったら、仕事の辞め時だと思っている。

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