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4年ぶりの里帰り ⑪

ホストマザーと再会!

テキサス滞在5日目に、ホストマザーと再会しました。

日本の母と同じ年の彼女、4年前に会ったときにも、できるだけ頻繁にテキサスと日本の行き来をしたいーと思ったのですが、その後1年してコロナ禍が始まり、なかなか海外に出ることも厳しくなり、同時に日本の母も1人にするのが難しくなり、長期間、遠くに出かけることもままならない日々が始まりました。

私は、1988-89年の学年度に、交換留学生としてテキサスに滞在してから、年に一度のペースで戻っていたけれど、2000年にこの仕事を始めるとなかなか、難しくなり、大学院のために暮らした東部の方に行くことも増えて、2019年の前は2012年と、だんだんと間が空くようになっていました。

けれど、大学1年生の春休みを使って1か月間、再びホームステイをさせてもらって帰国後1週間経ったときにホストファーザーの訃報が届いたときのことを今でも私は覚えています。最後に長く過ごせてよかったと思う反面、1か月間そんな前兆もなく、50代半ばだった年齢を考えると、大切な人には会えるときに、話せるときに、チャンスを逃さないことの大切さを思い知りました。行けない、できない理由を挙げるのではなく、行ける、できる方法を考えるーそんな姿勢を持とうと思ったのを覚えています。

そして、テキサスに帰る度に寺子屋の分校をテキサスに建てたいと思います。私が「高校留学」と「交換留学生としての経験」から受けた恩恵の大きさを思い知るからです。

2012年、1人の寺子屋の卒業生の大学生を連れて、里帰りをしました。日本の父が危篤で、夏休みという塾の書き入れどきだというに、私も10日ほどお休みをもらって、彼女を友人たちと顔合わせをして先に帰国しました。その後、彼女は1か月、私の友人たちやその家族やその友だちのお世話になって、サンアントニオに旅行に行ったり、中学校で日本についての授業をしたり、様々な経験をしてきました。

そのときに、私の勝手な想いを汲んでわがままを聞いてくれた親友と彼女の家族や友人、そして私のホストファミリー。私には、どれだけ頑張っても返せない恩があります。それが、私の日々の生活における頑張りの源です。

友人宅

今回も、ホストマザーとホストシスターたちに会って、改めてそう思いました。そして、無条件に受け入れてくれる人々が海の向こうにいることを改めて私に実感させてくれた親友たちのホスピタリティに感謝するとともに、今、日本の子どもたちに必要なのは、こういう経験なのになぁ~と思うのです。

そして、改めて海外留学の真の意義は、語学力強化ではないと思うのです。

つづく




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