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厳しい優しさ

先日、リスニングの授業を始めようとしたら、寝る体勢に入った中学生がいたので「寝るな!」と一言、喝を入れたら、授業後、卒業生でもある講師に

「先生、久しぶりに聞けて嬉しかったです。」と、言われた。

彼女は、寺子屋の2期生で、寺子屋の初代大学生アシスタントだ。彼女が生徒やアシスタントとして通ってくれていた頃、私が生徒に「喝」を入れることはもっと頻繁にあった。その当時の生徒たちは、口をそろえて「先生、丸くなったなぁ」という。

私としては、体形が丸くなった自覚はあるものの、それほど丸くなった気はしていない。けれど、考えてみれば、生徒への対応は、生徒の質の変化に合わせて変えている。

話を順序だててしないと通じない
順序だてたつもりだけれど、土台が違いすぎて通じていなかった

と、あとからわかることが多いので、一言多いぐらいの説明をするようにしている。もちろん、そのとき意識をこちらにむけてもらうように、大きな声を出さないといけないときもあるけれど、声を大きくするよりも1人ひとりに語ることが増えていると思う。

でも、語るようになったからと言って、以前より許容範囲を広げているわけではないと思う。

先日、わからないとぐずっていた生徒に、問題を持ってこちらに来てくださいと、言ったら泣かれた。そして、気が付いたら目の前でしゃくりあげて泣いていた。

私の心は、生徒のこういうときの涙では動かない。それが、どんなに幼い子どもでもである。

「勉強の途中で、泣いていても何も変わらないので、落ち着いたら説明をし直しますから、まず落ち着きましょう。ティッシュが必要なら、あそこにあります。」

と、言って待つことにした。少し落ち着いたようだったので「大丈夫かな?」と声をかけるとまたしゃくりあげてきたので、無言で待つことにした。そして、改めて説明をして、正答を出してもらい、最後に

「『わからないこと』や『まちがえること』は悪いことじゃない。いくらでも説明はするけれど、「わからない」と、きちんと自分で伝えてください。そして、言われたことはきちんとする。泣いても叫んでも課題だけは終えて帰ってもらいます。私に涙は通用しないから、泣いている時間も涙ももったいないから、次からはきちんと聞きに来て、きちんと言われたことをしましょう」と伝えて送り出した。

授業後、大学生たちに怖い!と言われたけれど、私は「厳しい優しさ」を示しているつもりである。



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