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書き続けること 言い続けること

昨日、幼馴染と久しぶりに会った。

「あなたは、ぶれないね」

と、言われた。私としては、30代半ばぐらいから、ブレブレな気がするのだけれど。

以前、ブログなどの記事の書き出しに名言を探していたとき、

Before I got married I had six theories about bringing up children; now I have six children and no theories.
結婚するまで、私は子育ての6つの持論があったが、今6人の子どもがいて持論は1つもない。

ジョン・ウィルモット

という名言を見つけて、思わず微笑み、私もこの仕事をする前は『教育とは、』ということについて、持論があったけれど、23年余り子どもたちと接してきて、もう1つも持論はないなと思った。笑

ただ、確かに、自分の軸として、1つだけ自分に言い聞かせ続けることがある。

それは

私たちが子どもたちに伝えることは、彼らが今すぐそれを実行して、今すぐできる子になることを望んでではなく、将来彼らが気が付くきっかけになり、いつか彼らの助けになってくれたら、と、願って言うことであることを忘れないこと。

彼らの成長は将来のためであり
私のためではない

だから、嫌われようが憎まれようが言い続けることが大切であること。

多分、それ以外は、日に日に、年々、その都度まなびがあるから、言っていることは変わり、他はどうでもよいというと語弊があるけれど、あとはそのときどき、できること、すべきことを懸命になってしているだけのような気がする。

かつては、ときどき生徒にも叫んでいた気がする

ー私はこの仕事、あなたたちに好かれようと思ってしていないから。嫌われてナンボの商売だと思ってしているから。

と。

以前、ウィスキーのCMで、久しぶりに会った先生に

「俺、先生のことが嫌いでした。でも、先生のような先生になろうと思います。」

というようなことを教え子がいうものがあったけれど、そんなことを言われる先生が私の理想だ。

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