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2022年を振り返る ②

「青春は密」なのかー

それなら、私には青春がなかったのかもしれない。

「思い出作り」の機会だという修学旅行も、文化祭も、体育祭(運動会)も、クラブ活動も、様々な学校行事も、日本での学生生活の中で、私が魅力を感じることはなかった。「みんなで」「みんなが」「みんなと」ーそんなマジックワードで縛られる関係を、私は楽しいと思わなかったし、他の人たちが騒いでいる様子を冷めた目で見ていた。

それでも、確かに「ダメだ、ダメだ」と言われ続けた子どもたちがかわいそうだと思う気持ちがわからなくはない。

けれども、大人たちが同情して、共感したふりをして「かわいそうだ」と騒ぎたてるのを見ながら、毎日子どもたちと接し、子どもたちが疲弊してきているのは、本当にそれだけの理由だろうかと考え続けている。

今年は、私の目の前にも、例年以上に、不登校気味になったり、無気力になったり、文句を言い続けたりする生徒が現れた。親御さんの悩みは尽きない。―そして、それは、行事の中止やマスク着用、黙食など制限や不便さの長期化の影響ももちろんあるだろうが、私には、子どもたちの周囲にいる大人たちのコロナ禍でも変わらない、むしろ助長されたようにも見える無責任な言動が主な原因であるような気がしてならない。前から、多かれ少なかれあった問題が、表面化してきているともいえるかもしれない。

希望は、目の前の誰かを信じられるということだと今週初めに見たドラマの中で言っていた。

今、子どもたちに必要なのは、文句ばかり言い、人のせいばかりにする大人たちが追体験を望み勝手に描く密な青春時代よりもむしろ、子どもたちが素直に信頼できる人がいる生活ではないかと思う。信用できる社会の信頼できる大人からの、同情よりも現実的な対応策を子どもたちは必要としている。解決策まではまだ無理にしても、、、。

私の青春時代は、密ではなくても、将来への希望と信念、そして周囲の人々への信頼があった。それが、社会に希望を持ち、前に進む土台だった。

そんなことを考え続けた2022年の仕事が今日終わった。

まだ自分の中に、子どもたちが希望を持ち、前に進む土台となる努力を来年も続けたいという気持ちだけは残っていることにほっとしている。

#2022年のわたしと仕事

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