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初めての場所での慣れない生活の中で、つい日々を流してしまいそうになるけれど、この限られた短い寺子屋生活を存分に楽しみ、一日一日を残らず自分の糧にしていきたい。

忙しい毎日の中でも大事なことを忘れないように、そんな思いも込めて今の素直な思いをここに書いておこうと思う。

海士町での生活が始まって、はや1カ月が経とうとしている。
寺子屋での授業もやっと慣れてきたように思う。

授業を通してまず思うのは、私は今までに3年間、仕事で料理に携わってきたけれど、先生に教えていただくことは知らないことばかりだということ。
今まで作ってきたものも和食とかけ離れていたわけではなかったはずなのに、こんなにもまだ知らない調理法、知識、技術があるなんて、本当に驚きだし、これも和食の奥深さということなのだろうなと思う。

そう考えると、日本の誇るべき和食のことを、本当にちゃんと知っている日本人はどれだけいるだろう。
こうして和食を学びに来られて本当に良かったと改めて思う。
私もいつか伝える人になれるようにしっかり学んで感じていきたい。

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自然と切っても切り離せない。それが和食のとってもいいところだと思う。
だから、自ら自然に出向き、食材と一緒に自然の中で感じた季節感を持ち帰り、料理にのせる。それが基本。きっとどんな料理もそれが基本であるべきなのだけれど、和食は特にそのことを軸に考えるものなのではないかと思う。

だから、和食を作るには、自然のことをよく知っていなければならないし、自然を敏感に感じ取り、それを料理に表現する力も必要だ。それにはもちろん調理の技術や知識がいる。

ここには、そのすべてを一緒に体験できる環境があって、和食のプロが先生としていてくださり、そして仲間がいてくれる。全国各地からこの小さな島の小さな学校で和食を学ぶ同志として巡り合った仲間とともに楽しんで成長していけたらなと思う。

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一年間でそれぞれの季節は一度きり、同じ季節でも春夏秋冬では言い表せない微妙な季節の移ろいが毎日あって、毎日がその日限り。一年という制限があるおかげで、そのありがたみが際立つ。忙しい毎日になろうとも、このことを忘れないでいようと思う。

包丁の鍛錬を積み、和食の基礎を身に付けること、日々の自然の変化を肌で感じながら、自分の感性を育てていくこと、どちらにも貪欲に、濃い一年にしていきたい。

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(文:島食の寺子屋生徒 出野)