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生命を感じる体験

最近、寺子屋で行った授業の中で二つ印象に残っている物がある。

一つは牛のせり。もう一つは鳥を捌いたことだ。

牛のせりは西之島で行われた。
せりの会場に着くと、牛の鳴き声が聞こえてきて、なんとなく寂しそうに泣いているような気がした。

牛の販売価格は思っていたよりも安かったことに驚いた。
生命に値段がつけられることに違和感を覚えたが、それを今まで私はなにも考えることなく食べてきた。一つ一つの命に感謝しながら食べる必要があると実感した。

そしてもう一つの印象深い体験は、鴨ときじを捌いた経験である。毛をとるとこから始め、捌いていく。だんだんと、見覚えのある形になっていく。

魚と同じように、ここに来るまではスーパーで売られているお肉がどんな部位でどうなっているのかを知らなかった。自ら捌いていく中で、もも肉、胸肉、ささみ、手羽先、手羽元など納得しながら捌くことができた。

東京にいた時は知り得なかったことを学ぶことができ、感じなかった感情を抱くことができた。

このような感覚は、生産現場の近くで学ぶ寺子屋だからこそ気付いた視点であると思う。
海士町で過ごす日々はだんだんと残り少なくなってきている。
ここで覚えた感覚を決して忘れることなく、海士町から出た後も胸に刻んで日々を過ごしていきたい。

(文:島食の寺子屋生徒 津曲)