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定量と定性

こんばんは。
てらいです。

危うくnoteの存在を忘れるところでした、失敬。
今日はサクッと書きたいと思います。

新天地、まだ慣れないことが多すぎることもあり、
帰ってきてからジムにいく体力と精神力が残っておりません。
そのくせ食欲は爆発的なので、
いい感じに減ってきていた体重も余裕で戻りました。
はやく慣れて、ジム習慣を取り戻したい!

20代の前半くらいまでって、「なんとなくなんでもできちゃう」能力が、
割と高く評価されやすいと思うんです。
これは友人からも異性からも、仕事においても。
僕はどちらかというと広く浅く人間で、めっちゃ苦手なこともあるけど、
自分で言うことでもないですが、おおむね60点のクオリティを出せる気がします。

それが30代になると「特定の分野に秀でていること」がめっちゃかっこよく見える。
と言うよりは、「自分って何もできないな、何も知らないな」ってなるので、相対的にそう映るのかも知れない。
要は僕自身に「これだけは誰にも負けない!」と自信を持って言える特技もないし、
「これにだけはいくらでも費やせる!」という趣味もない。
「コミュニケーション能力が高い」みたいな、五万といる新卒の就活生みたいなことしか言えない自分に気が付きます。

こうなっちゃうと、例えば友人が「特定の分野に秀でている」とまでではなくとも、自分が全く知らない・できないことに長けていると、
尊敬と同時にものすごい劣等感に苛まれちゃう、これが30代の僕のトレンド。

僕の周りにはそう言う専門性の高い人が多くて、すごいです。
とにかく映画に詳しい、とにかく読書が好き、とにかく将棋に詳しい、
とにかくスポーツに詳しい、とにかく投資に詳しい、などなど
恵まれていると思うと同時に、じゃあ自分には何があるんだろうって毎回なっちゃう、他人の芝生は青いを体現した人間。

定量と定性。
20代まではプロセスを評価されたり、漠然としたやる気みたいな定性で評価されることが多かったけど、もうここからは定量的な見方をされていくんだろうな、と実感。

って時に僕は本当に友人に恵まれているから、
仮にBADに入ったときの僕に、たくさん優しい言葉をかけてくださるんですね。
「自分では大したことないと思っている能力とか知識が、周りの人にとってはすごいことに思えるもんだよ」と。
僕が「彼のここがすごい」と感じている要素は、彼にとっては全く大したことではなくて、
そんなことよりむしろ、ギターを弾けることの方がよっぽどすごいと。

なるほどそういうものなんだなぁ、とも思いつつ、
でもこのくらい自己肯定感が低いくらいの方が僕らしくて、謙虚にいろんなこと学ぼうって思えるのかもしれないな、とも思った話。


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