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「やりたくないこと」と「やりづらいこと」を分けよう

みなさん、こんにちは。

久しぶりのnote更新、今日は「やりたくないこと」と「やりづらいこと」を分けようというお話しです。

昨今では

「自分の感情を大事にしよう!」
「やりたくないことは、やらなくていい」

という言説があふれています。

個人を大事にする時代になってきており、僕個人としても好ましいことだと感じています。ただ、個人が重視されるようになってきたことによる弊害もあるのではと感じていますので、今日はそんなことをお話しします。

ほんとにそれ、やりたくないこと?

学業や仕事、その他家庭のことでもそうですが「なんか気が進まないなぁ…」ということがありますよね。

最近の流行にのっとると「自分の気分が進まないことは、やらないでおこう」という風に考えてしまいがちです。

でも…実はそれって「損」しているかもしれません。

「気が進まない」という感情を吟味する必要があると思っています。

経験やスキルがないから「やりたくない」

僕自身の話ですが、実は学生時代に水泳のインストラクターをしていました。子どもの指導中心に業務していたのですが、あるとき大人向けエクササイズのプログラムをお願いされました。

音楽に乗せて、身体を動かす。

「え、そんなん絶対無理やわ…暗い性格の自分が?」

とまったく気が進みませんでした。。

ただ、当時から(今もですが)コミュ障だった僕は、断るに断れずにそのプログラムを引き受けることになりました。

最初は内容を忘れて頭が真っ白になってしまうこともありました。ただ、何度も繰り返すことで徐々に慣れていきました。絶対できないと思っていたプログラムも、やってみたら意外とできてしまった、そんな感じでした。

プログラムには「型」がありますので、毎回その型に従っておけば大丈夫でした。それもチャレンジしてみてわかったことの一つでした。

一番苦手さを感じていた「音楽に乗せて」の部分も最初は恥ずかしさがあったものの、徐々に慣れていき、最後は楽しむことができるようになっていました。

気が進まない、その正体はやりたい/やりたくないという嗜好ではなく、(経験やスキルがないから)「やりづらい」という感情でした。

自分を大事にしすぎると、自分が固定される

普段の若者支援の中で「やりづらい」という感情と、「やりたくない」を混同して考えがちな方が多いのはないかと、感じています。

実はそれって「機会損失」にほかなりません。

僕は「うわ、苦手」と思っていたプログラムを実施したことにより、人前でしゃべることができるじゃないかと知ることができました。(いつも緊張はしていますが、周りからはそうは見えていないそうです)

もちろん、「やりたくない」仕事をすべて引き受ける必要はありません。

ただ、気が進まないと思った時に一度その「やりたくない」を精査してみて、実は「やったことがないから」だった場合は、ぜひ一度トライしていてはいかがでしょうか。

やってみて、できなかったらすぐ止める

実施してみたら「これ向いていないな」と思うこともあります。

スイミングスクールのプログラムの場合は、チャレンジしてみたら、たまたま自分がしゃべる仕事をこなすことができた、しかも外部評価的にもできそうだ、という結果が返ってきました。

ただ試してみて「全然ダメ」という結果が返ってくることもあります。

僕は以前システムエンジニアもやっていましたが、正確性の必要な仕事は難しく、ミスも多い、またミスなくやろうすると、とてもストレスがかかります。またデイサービスの管理職だったときもシフト作成に間違いが多く、途中から他のスタッフにダブルチェックをお願いしていました。

でも、そういった仕事にチャレンジしてみたからこそ、できる/できないが見えてきました

「自分」にいろんな経験というデータを入力してみよう

自分の価値観を大事にする、というのは大事です。

ただ一方で、それは自分を固定化し、可能性を閉ざしてしまうリスクも抱えています。

人間の脳というのはある種の「入出力装置」です。ただその性能や仕様は一人ひとり違います。さらにどういう出力がでてくるかは、何かを入力するまでまったくわかりません。

僕自身、「仕事というのは色んな入力をして、自分という人間の性質を知っていく過程を楽しむもの」だと捉えています。

ということで、これからもいろんなことにチャレンジし、いろんな経験をして自分というものが知っていけたらなと思っています。

皆さんも僕と一緒にチャレンジしてもらえたら。それでは。


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