僕らが「子ども」に託すもの
みなさん、こんばんは。寺戸慎也(てらどしんや)です。
今日は、僕らが「子ども」に託すもの、というタイトルでお話しします。
ここで僕が「子ども」と言っているのは、自分の子ども(僕には娘が2人いますが)や、周りにいる子供たちではなく、「自分が子供だったころ」のことです。
「ちょっと何言ってるかわからない」って?
ちょっと順を追って話しますね。
子どもの頃の大切な思い出
いきなりなのですが、あなたには子どもの頃の大切な思い出、または、大事にしたい想いってありますか?
少し1分ほど読む手(目)を止めて、考えてみてください。
…
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何か風景だったり、エピソードは思い浮かびましたか?
実は、今日『インナーワーク』というワークショップに参加して、この子どもの頃について考える機会がありました。
僕の子どもの頃と聞いて脳裏に思い浮かんだのは、『実家の父親の部屋』でした。そこには父親がいるわけではなく、その部屋自体と、窓から見える駐輪場、その奥に見える葉桜の映像でした。
最初は、なぜその映像が思い浮かんだのか、自分自身にはわかりませんでした。
同時に思いいたったのは『子どもの頃の大切な思い出』と問われたとき、実際にその子どもの時の感情をリアルに思い出しているわけでない。むしろ正確には覚えていないのでは?という問いです。
僕たちが『子どものころに大切だった思い出は?』と問われて、答える子ども像というのは、今ココにいるジブンに欠乏しているモノではないのか、という考えに思い至りました。
「子ども」には、今ある「欠乏」を投影している
よく子どものころについて思い出す時、僕たちは純粋だった思い、初めての経験、心から楽しめた事を挙げます。
でもそれは実は、本当に子どものころの感情を思い出しているのではなく、今ここにないものを自分の『子ども時代』に投影しているのではないでしょうか。
僕は、その大事なものが今ココにないという「欠乏感」が悪いものだといいたいわけではありません。
実は、僕の中には「父性」というものが欠乏しているのではないかと最近感じています。出張が多かった父なので、物理的に側にいなかったということもありますが、僕は父に何かを教えてもらったという経験がありません。
何かを教えてほしいと頼んだこともありましたが、父は何も教えてくれることはありませんでした。夏休みの工作の宿題を手伝ってくれはしましたが、彼自身が制作を楽しんでいる節がありました(笑)(そのおかげでクラスメイトからの評価は高かったのだけれど)今思うと、アスペルガーの傾向があったように思います。なんせ子ども(僕)の誕生日も覚えていないような人だったから。
そして、父はくも膜下出血という病に倒れました。今、彼に聞きたいことがたくさんあります。
「どんな想いで働いていたの?」「仕事は楽しかった?」
「自分たち(子どもたち)のことをどう思ってるの?」
「これまでの人生に満足してる?」
これらは、もう永遠に聞くことはできない質問です。そんな「欠乏」が、僕の心にポーンと大きな穴をあけています。
欠乏は、時に想いをドライブさせてくれる
そんな欠乏感は、時に「さみしさ」という感情を引き起こします。
でも、欠乏は悪いことではない、それが僕の出した結論です。僕は、その欠乏を埋めるように、支援の仕事についたのかもしれません。
「子どもたち」のさみしさや、何か教えてほしいという願望、それをかなえたい。それは同時に、自分自身の中にある穴を埋めるような作業かもしれません。
僕は突き動かされるように、今の支援のお仕事をしています。
僕自身の欠乏を埋めるという、ある種エゴイスティックな心の作業が、少しでも、ほんの少しでも、僕が相談に乗っている若者たちの心を癒していることを祈りながら…
では。
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