戦争 ”あらゆる犠牲”(八話)
今の世の中は、とても幸せになりました。
私は胃腸も弱くなり、もうあまり食べものが喉を通りません。
しかし、毎日三食摂ることができています。
私がまだ子供であった頃を思い出すと、この奇跡が信じられません。
毎日、一食でさえ満足に摂れない日が続きました。
一番の御馳走は、兄が田んぼで取ってきたウシガエル。
家族みんな、喜んで食べていました。
現代では、考えられないことです。
兄は、学徒であった頃から、ウシガエルを取って売っておりました。
蛇も高く売れていたので、休日は終日、山を散策しておりました。
父がほぼ無給で大本営に駆り出されていたので、兄の収入のみが頼りでした。
兄は、家計を助ける為に必死でした。
学業を擲って、私たち家族の為に頑張ってくれました。
それでも平和な時ならまだ良かったのですが、
戦渦の中ではそうもいきません。
連日のように飛来する、爆撃機。
鳴りやまない、警報。
防空壕の中で、丸二日過ごしたこともあります。
勿論、水も、食料もありませんでした。
あれほどひもじい思いをしたことは、後にも先にもありません。
自分のいる防空壕に、いつ爆弾が投げ込まれるか分からない。
然様な恐怖が、空腹を忘れさせてくれました。
なんと、皮肉なことでしょうか。
私の周りの人間も、同じ感情を抱いていたと思います。
そうでなければ、皆、発狂していたかもしれません。
安全が確認され防空壕から出た私たちは、空腹のあまり倒れこみました。
気絶する者も、いました。
私も、同じく気を失いました。
翌日、辛うじて目を覚ました私に、母は料理を作ってくれました。
雑草と、米が数粒程度入った、雑炊のようなものでした。
ご近所様から頂いた、少量の味噌のようなもので味付けされていました。
70年以上経った今となっても、あの味は忘れられません。
あれほど美味しいものを、これまで食べたことがございません。
無我夢中で食べた後、糸が切れたようにまた寝てしまった。
母から、そう聞きました。
私は、なんとか戦争を生き延びました。
そして今日まで、生きております。
子供も、孫もできました。
本日は、息子の奥様の手料理を頂くことになっています。
あの母の雑炊の味には敵わないと思いますが、嬉しいことです。
叶うことなら、私も母に料理を作ってあげたかった。
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