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変化する企業にとっての社会貢献(JMAM:その3)

 日本能率協会マネジメントセンター(JMAM)という会社の管理職基本コースを受講することとなった。
その忘備録兼、アウトプットとして、学んだことを私なりの表現で記述していく。
ちなみに、自身の見解も結構おりまぜているので、必ずしもJMAMの教科書にそった内容になっていない可能性があるのはご承知おきいただきたい。

 今回のテーマは「変化する企業にとっての社会貢献」だ。

<求められる企業の社会貢献度>

 CSR(Corporate Social Responsibility)という言葉がある。
知っている人も多いと思うが、日本語でいうと”企業の社会的責任”となり、Web担当者Forumというサイトには

企業が自社の利益のみを追求するだけではなく、すべてのステークホルダー(消費者や投資家に加え社会全体などの利害関係者)を視野に経済・環境・社会など幅広い分野での社会全体のニーズの変化をとらえ、それらをいち早く価値創造や市場創造に結び付けることによって、企業の競争力強化や持続的発展とともに経済全体の活性化やより良い社会づくりを目指す自発的な取り組み。

とある。
企業によっては、CSR専門の部門を用意しているところもあるほど、既に一般化されている考え方だ。
とはいえ、そもそも会社は社会に何かをすることを前提に国から認められ、企業として様々な優遇を受けるなどができているわけで、社会的責任などもとからついて回るものだと言っていい。
では、なぜわざわざCSRという言葉が生まれ、部署まで準備して取り組むような状態になったのだろうか。
それは、”社会に役立つ”ための方法が、時代によって変化してきたからに他ならない。

<一昔前の企業の社会への役立ち方は>

 例えば、Microsoftは全ての家にPCが置かれる世界を目指し、様々な経営活動を行っていた。
それは、社会にとって大きな意義があることで、そのために如何に安く作り、多くの人が買える状態を作るかということが大事だった。
”作って売る”ことがそのまま”社会に役立つ”ことに直結していた時代だったといえる。
よって、企業活動がそのまま社会貢献に繋がるという、単純な図式が生まれやすかった。

<作る≠社会貢献でなくなる現代>

 では今はどうだろうか。
あなたが何かが欲しいと感じたとして、それを買う手段は必ず何かしら用意されている。
基本的に必要なものはほとんど全て、十分に揃っている時代に入った。
それは機械化や物流網の進化、ITの発展など様々な要素が織り交ざって到達した人類の成果だ。
そんな中で、無計画にモノを作るとどうなるだろう。
機械化の恩恵もあり、何か一つのモノを作る時間はどんどん短縮されている。
そのため、やろうと思えば即座に大量のモノを作ることが可能だ。
本気を出せば地球の資源を喰って使えるほど、技術は進歩している。
 しかし、販売サイドに立つと基本的なものは既に揃っているから、これまでにない価値であったりを示さないとそもそも購入されない。
購入されないものは、そのまま在庫となり、ゴミとなる。
有限の資源を大量に消費し、ダイレクトに廃棄物の山の一員になるという工程は、現代では珍しくもない姿となってしまった。
そうなると、過去にはそのこと自体が社会に役立っていると言えたモノづくりが、社会に何も還元しないどころか、有限な資源をゴミに変えるというマイナス面が目立つようになってくる。

<会社の社会的価値が問われる時代>

 既に、”作って売る”と”社会に役立つ”ということは、イコールにならない時代に突入している。
先にも言ったように、そもそも社会に役に立つことが会社の存在意義だ。
しかし、とりあえず作ればみんなハッピーという単純な時代ではなくなった。
だからこそ、自社の存在意義を社会に示すために何をするべきなのか。
何をもって社会に役立つ会社といえるのか。
そんな問いかけが、会社にとってますます重要な意味を帯びてくるようになるだろう。

 特に、これまで日本を支えていた大手の製造業は、時には自己否定と取れるような選択をしなければ市場から撤退・・・つまり倒産するしかないという事態に陥るかもしれない。

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