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スピ系動画からの気づき

最近、占星術師のマドモアゼル愛さんのユーチューブチャンネルで「どんな逆境からでも立ち直る方法がある」という動画を見ていて、先月Akiko Spiritualさんのチャンネルで見た「許すことを認める」という話を思い出した。

マドモアゼル愛さんは、「一日のおわりに太陽は沈んで新しいいのちとして生まれ変わってくるのに、私たちは重たいものを、間違ったものを寝ても覚めても持ち続けており、そこに利息をつけて苦しくなっている。過去の自分と今の自分は違うということで一日一日で新しい命を生きているという感覚があると、継続している悪いものを棄てることができる。いつまでも他人や環境のせいにして苦しい状態をつづけるよりも、一度、”私が悪かった、私が間違っていた。”と言ってお終いにする覚悟をきめれば新しい自分の人生が始まっていく。」というようなことをおっしゃっていた。

継続は力なりと言うだけあって、そうやって寝ても覚めても負の記憶にこだわり続けているとどんどんと世界が色褪せていくのは経験済みだ。何年も無駄にしたにもかかわらず人生が一新する展開に至らないのは嵐が過ぎたあとでも時々嫌な経験を反芻してしまうから。スパッと切り離す覚悟が足りない。変わって、Akiko Spiritualさんの話は要約すると、「自分にすごく厳しくしているからこそ自分が苦しくなってしまう。あの人が悪いとかこの人が悪いとか、あの出来事が嫌だったとかあるけれども、出来事として自分が苦しんでいるものというのは、それを経験した自分自身の事を許してないということが結構あるんじゃないか。」ということで、この、「こんな嫌な経験をしてしまった自分自身を許せない」という箇所にはっとさせられた。そう、ほんとうに、周りがどうとかいうよりも、嫌な目にあったことで自分が一部損壊してしまったように感じ、自分で自分を事故車扱いしている気がする。昔ぼんやり思い描いていた人生から最初はすこしずつ道を外れ、事故車の私はコントロールがとれないままどんどん遠くへ走っていく。「ごめんなさい、道を間違えていたようです。戻り方も行きたい方角も今となってはもうわかりません。」と、自分で認める時期だと思う。

Akikoさんはハードルを下げて自分を許すことを勧める。「許す」とはいくぶん優し気な表現ではあるけれど、「私が悪かった、私が間違っていた」と言ってお終いにして新たな一歩を踏み出そうという愛さんの話と共通するものがあり、どちらの動画も心に響いた。