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「自力」で何とかならないことは何か

「自力で何とかならないこと言えば他人のことです。
自分のことは自力でもある程度、変化させることができると思います。
しかし、他人に関することは自力では変えることが難しいと思われます。
他人を変えるとはどんな意味になるでしょうか。
言葉を選ばなければ洗脳でしょうか。
自力で何ともならないのは自分の運命でもあります。
自分の運命を自力で開いていきたいと願望を持つことはできますが、
それだけではどうしようもありません。
早速、覆すようですが、
自分のことも自力ではどうしようもないことがあります。
さて、他人を変えたいと思うなら、
どうすればいいでしょうか。
それは文句を言ってもいいのですが、
それだけで人が変わってくれるとも思えません。
人を変えるには方便が必要です。
他人を変えたいとして、他人の何を変えたいのでしょうか。
他人の行動を変えるには
こうしたらいい
ああしたらいいと説諭を加えることもあり得るでしょう。
それで納得すれば、相手は貴方のために変わってくれるでしょう。
では何のために他人を変えたいのでしょう。
それが相手のためなのでしょうか。
それならよいのです。
しかし、独りだけで人がいうことを聞いてくれるとはなかなか思いません。
やはり方便が必要なようです。
方便とは何でしょうか。
嘘も方便という格言があります。
人のために間違いなくなるなら、
それはそれで正当化できるという意味でしょうか。
それで相手を騙して相手のために陰謀を計るということになると思います。
これは法華経には、薬を飲ますために四苦八苦する様子が描写されています。
子が親を治すために嘘をついたり、
親が子供を治すために嘘をついたり、
とかそんな具合です。
少し意味がずれますが、
良薬は口に苦しとか
そんな意味も遠からずといったところでしょうか。
相手を思う気持ちがあっても実践的には有効な方法は限られるようです。
なかなか難しいことですね。
相手を思うあまり、知恵を巡らせて、
誰かにも知恵を借りて、協力を求めて目的を達成することが求められると思います。
でも、そもそもそれが本当に相手のためになるのでしょうか。
それは分かりません。
起きてみないと実際のことは分かりません。
いくら相手を思っていても、
その気持ちが空転するだけではあまり意味もありません。
とは思うのですが、
空転しているだけの気持ちにも意味がないとも言えないと思います。
相手を思うことは清いことであり、
本当にためになるなら、感謝に値します。
しかし、それだけの知恵がある人など、どれくらい存在するのでしょうか。
人から感謝してもらうだけを目的とするのは、
卑しい響きがします。
この辺りのことは難しいですね。」

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