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人生がゲームなら「ゲーム」慣れしている方が有利なのか

「答えは明らかだ。
また、言葉で何もかも分かると思うなら、
それも明らかに思い違いで、
だから、こんがらがってくるのだけど、
しかし、これも当たり前の話だ。
そもそも現実がゲームなら
それ以外の時間は何をしているのだ。
しかし、言語でコミュニケートするのも意外とゲームみたいなものだ。
相手に何が伝わっているか知る術はあまりない。
というか発信者が受け手になるには無理がある。
ではどうなっているのだろう。
まあ言語の仕組みなんて子供でも理解できる。
作為を投げ捨てた先にあるのは何だろう。
原体験がないといかんともし難いとも言えるが、
はて何のことだろう。
これは何がいいたいのだろうか。
別に意味はない。
そもそも伝えたいことは別にない。
なら何を話したらいいだろうか。
ゲームはやはり慣れている方が有利だ。
どこでどうなっているかを知っているなら、
何でも有利に働くに決まっている。
ではそのために努力は必要だろうか。
それとも好奇心が大切だろうか。
答えは両方ともあり得るだろう。
しかし、努力というものも好きでするのと、
それでないのとはかなり違った印象を与えるだろう。
そもそも私はいいたいのはある意味で人生はゲームに過ぎないということだ。
個人の人生なんて大したことはない。
最後には何もなくなるのはわかっている。
どれほど努力しても後に残るものはわかっている。
遺産は遺産で意味ある限り生き続けるだろう。
それはそれで意味あることだ。
しかし、それも最後はなくなる。
それが宇宙の運命だとされる。
でもどうだろうか。
結局は分からない。
今時、ストレージは電子化されて、
クラウド上に管理できるようにもなっている。
何でも逆説的に残せてしまうのだ。
これはこれでよくない場合は致命的かもしれない、
永遠に消せないものがデータとして保管されてしまう懼れがある。
しかし、これもどうでもいい。
究極的にはどちらでもいいのだ。
自分が知りたいのはそんなことではない。
それにしてもこう考えると
世の中都合よくでき過ぎているのではないか
と考えられる。
それは便利すぎるからだ。
しかし、過剰ではない。
しっかりとしたシステムが施される場合はもはや私が生まれた頃とは大違いだ。
しかし、先端技術は昔からあるもので、
その萌芽は流行るかなり前から施行例があるのが
普通だ。
何でも前段階がある。
それを振り返ってみれば自ずと明らかだ。
やはり人生はゲームに過ぎなくはある。
それは神が人間世界の平等のために割り振ったことだろうか。
いくら格差があっても有効なのは自分自身の精神と身体なのだから。」



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