「常識」では測れないものって何?
「常識というのは観念に過ぎません。
常識とそれでないものは非常識だと考えられます。
しかし、それでないなら、それではない何かなのでしょうか。
常識で測れるものとは普通のことです。
でも、それもそう考えられるに過ぎません。
私には確かなことは分かりません。
では、非常識とは何のことでしょうか。
常識ではないことでしょうか。
観念には常識と非常識としかないなんてことはあり得ないと思います。
常識とは何なのでしょう?
大変とても分かりにくい観念です。
私は常識なるものが分からなくなります。
でも、非常識なものは分かります。
ではそれなら、常識的なものを理解していることになります。
私は常識ほ分かりませんが、
常識的なものを感得していると言えると思います。
常識とは通常あり得る範囲のことであり、
非常識とは通常はあり得ない範囲のことを指すとも言えると思います。
では、それで何が判断できるでしょうか。
常識的であることとそうでないことの区別ができます。
ではそれを具体的に言い表すことは容易でしょうか。
いや、容易ではありません。
困難があります。
言語化することに隔たりがあり、
それを具体化することにさらに困難があります。
私が言おうとしていることはある意味で概念や言葉の限界についてです。
人間は体験のないことは原則的に分かりません。
それが普通だと思います。
判断力とは常識と非常識を判別する力だと思います。
ここでカントを想起するかもしれませんが、
私はカントを理解できておりません。
だから、判断力批判の意味も定かではありません。
それはそれとして、
つまり、常識では測れないこととは未経験の世界のことです。
人間の観念はある程度は経験があることに起因すると考えられます。
経験があることによって言語化が容易になるという側面は否定できないと思います。
ここで、正でなければ非であり、
非でなければ正であるというような二元的判断は役に立ちません。
正非とは相反する要素でもないと思えます。
何かが正であるなら、
それでないものが非ではない。
また、何かが非であるなら、
それでないものが正でもないと考えられます。
だから、それでないこと、それであることは、
あまり意味のあることではありません。
判別が可能ではあるとしても、それと正非は関係のないものであると考えられます。
つまり常識では測ることのできないものは未経験の世界ではあります。
それはどれだけ経験を重ねてもなくならないもよであります。
だから、どれだけ研鑽をしても分からないことの残る余地はあることになります。
では分かることとは何でしょうか。
それはゆくゆく考えていきたいと思います。
今回はこれくらいにしておきます。
本人が不案内なもので、怪しいところはあるかも知れません。
それはご容赦していただきたいと思います。
最後まで読了していただけだのなら、感謝します。
どうもありがとうございました。」
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