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『六甲縦走殺人事件』 第三章~西縦走路後半の山場で市ケ原へ~

第一章を読んでいない方はこちらから

『六甲縦走殺人事件』 プロローグ、第一章


【午後22時7分】

 馬の背を渡ったここからは、まだ岩場が残った山の中を抜けて、少し登ったところに東山の山頂がある。その山頂広場から来た道を振り返って見ると、先ほどの馬の背の岩山が人のライトに照らされて少し見えた。

 鉄平が、東山の先の階段にライトを当て、

「ここを下って行けばもうすぐ住宅地に出ます。ロードに出たら今回は高取山を迂回するのでロードが長くなります」

「なるほど、鉄平さん。この先はロードが続くんですね」


 ルーカスは先ほどの馬の背での何ともないやり取りだったが、何か不穏なものを感じた。出発しようとすると、さっきの馬の背で写真を取り合った二人が追いついてきた。

「先ほどは写真ありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそ、偶然通りがかったからお願いしちゃったわ。ところでどっかで会ったことあるような」

 山田はるみはそう聞かれて答えた。

「私は山田はるみです。こちらは田中知美さん、2人とも、この前の大阪国際女子マラソンでスタート前に偶然横にいて、お会いしました」

「あぁ~そうだったわね、途中まで抜きつ抜かれつだったわね、3人とも同じ位置にいて」

「はい、しかも私は里保さんと同じ歳で須磨出身なんです!」

「あ!思い出したわ、須磨に住んでいた時の小学校6年生の時、同じクラスだったはるみちゃんね。懐かしいわ。もうあれから20年も経つのよね」


 ルーカスが驚いた表情を見せて、里保に恐る恐る聞く。

「里保さん、計算するともう40歳を超えているんですね。若いから30代に思っていました」

「あら、計算しないでよ(笑) ルーカスさんは30代前半でしょ?かなり若く見えるわ」

「はい、32歳です。日本に来たのが30歳でした」

「ルーカスさん!僕より一回り下!鉄平さんは里保さんの1つ下なんですよ。横川さんはさらに1個下」

「今は同じ歳だけどね、学年で言うと、私が小6の時鉄平さんは小5」

「なんかややこしいですね、日本の同じ歳」

日本の4月はじまりの学年制度に、ルーカスは不思議に思った顔をしていた。


 鉄平たちが階段を降り始めて、少し平らな広いところに来ると、後ろから田中知美は心配そうに鉄平に話しかけた。

「この後、住宅地に降りたらショートカットがあると聞いているんですが、それを鉄平さんに付いて行きたいんです。いいですか?」

「通常の六甲縦走路じゃなくて、住宅街と中学校の横を抜ける階段ですね。いいですよ、案内しますんで付いてきてください」

「ありがとうございます。GPS付けてるんであとで地図見ながら復習します」


ランニングアプリに詳しいルーカスが補足した。

「パソコンで見ると詳細なデータが見れて、振り返りと考察もできますよ」

「でも、これは縦走路を逸れて住宅地を通るんで、静かにゆっくりと行きましょう。この最短ルートは鉄平塾試走会とか当日ツアーでしか案内してないシークレットです」

「そうなんですね貴重ですね、それは」

山田はるみも初めて通るルートを気持ち高らかに表情を明るくした。


【午後22時11分】

 トレイルの終わりに差し掛かり、住宅地前の道路が見えてきた。

「亮は通常の六甲縦走路のルートを走ってみて」

唐突に松下里保は後ろにいた谷山亮に注文した。

「またあれですか?どっちが速いか同時に行ってみますか!」


 馬の背の後の東山を下りて急な階段が続くトレイルを抜けると横尾の住宅街に出た。

「じゃあここから通常の六甲縦走路を行きますね」

「僕らはこっちから住宅街を抜けていきますね。妙法寺の前で集合です」

谷山と鉄平たちはそう言って、二手に分かれて走り出した。谷山は住宅地横の大きな通りをダッシュして走って行った。


「なぜ毎回、谷山さんを一人で行かせるのですか?」

 ルーカスが不思議そうな顔をして聞いた。

「あなた、いつも不思議そうな顔をしてズバッと聞いて来るわね。あれよ、亮は女の人に目がないから」

「目がない?谷山さんは目が見えていないんですか?ライトを無くしたから?」

「違うわよ、逆の意味ね。夢中になって見てしまい過ぎるの」

「女の人が好きなんですね~」

「まあ、どっちもよ、男の人も女の人にも、人が大好きなのよ、良いことだけど」


【午後22時15分】

 真っ暗らな夜も22時を過ぎたころ、住宅地の中を鉄平たちは静かにゆっくりと走っていた。小刻みな曲がり角を何回も左右に行って抜け道も通り、地図を見ないと迷路みたいな町中を抜けて、少し大きな通りに出た。


「この前が横尾中学校です。この横にある階段を登って、学校の校庭の横を通って階段を下りたら妙法寺があります。

「へぇ、こんなとこがあるんですね。連れて来られなかったら絶対分かりませんでした」
と田中知美は嬉しそうな表情になり、足取りが軽くなった。

「地図を見たら分かるんですよ、さっきの最短ルートも」

鉄平がそう言うと里保が補足した。

「地図を読める男と読めない女って言うわよね。女の人は地図を見ても頭で想像できないのよ。地図脳がないから」

「そうなんですよ~ 後で地図を見ても走った景色と一致しなくて分からなくなります。ロードのマラソンはちゃんと走るコースが制限されているから迷うこともないんですが」

と、山田はるみも同意するように答えた。

「そうね、前の人に何も考えず付いて行けばいいからね。この前の大阪国際では、はるみさんの背中を無心で追いかけていたわ」

「最後は抜かされましたけどね。悔しかったです」


【午後22時19分】

 中学校の横を抜け、木が生い茂る間を通る暗い階段の中を下って行くと、赤い妙法寺と書いたのぼりが見えて、道路が見えた。その道にちょうどダッシュで走って来た谷山がいた。

「あら、結局ほぼ同時だったわね」

「いや、僕の方が数秒速かったっすよ!」

「山さんめっちゃ飛ばしたでしょ、キロ4くらいで」

「はい!全力疾走です!」

「そんなに超飛ばしたのと、僕らが静かにゆっくり住宅街を抜けてきたのが同時なんで、こちらの方がやっぱり速いかもですね」

「そんな~僕の頑張りはなんだったんすか」

「あんた、また飛ばして、あとのこと考えてないでしょ」

「あ~忘れてました~」


「この後、次の信号で右に行ったらローソンがあるんですけど、最近は高取山は登らずロードで迂回なので、この先の登り坂の途中にあるローソンに行って、いったん休憩と補給をしましょう」

鉄平は次の案内をしながら、ゆっくりと妙法寺小学校横を走りだした。

「ここを右に行くといつもの六甲縦走路で高取山を登りますが、今回は登らずにこのロードを真っ直ぐ行って鵯越駅まで走ります」

鉄平の案内に里保は残念な顔をしながらつぶやいた。

「このロードが案外長いのよね」


【午後22時27分】

 ロードの坂を上って右に入るとローソンがあった。鉄平たちはここで少し休憩することにした。

「トイレもありますし、暖かいものもありますので、ここで5分くらい各自一休みしましょう。この先の鵯越駅の自販機でも少し休憩は取ります」

「それが終わったら、いよいよ菊水山ね」

里保のつぶやきにルーカスが問いかけた。

「菊水山は有名なとこですか?」

「六甲縦走の前半部分では一番キツくて有名な山よ。急な登りで、通称「黒階段」と言って45度近くある階段がキツいわ」


【午後22時32分】

 それぞれ休憩も終わり、鵯越駅、その先の菊水山へ向かい始めた。少しロードの登りが続き、この辺りは自動車の整備工場が多く、夜でも車通りは多いのに歩道は狭い道が続く。

 長田箕谷線のローソンがある地点が最高点で、そこからはまた下りだす。そこから先へ行くと、高取山から降りてきた道と繋がり、鷹取橋東詰めの交差点に出る。その手前、高取山側にはキャノンボーラーでは有名な、スナック「黒帯」があり、あそこはなんだと毎回話題になる。


「この信号からまた登りになり、六甲縦走の有名な丸山ダンジョンです」

「これこそ地図読みよね」

鉄平と里保がそう話しているとルーカスが、

「今グーグルマップで地図を見ていますが、本当に迷路のようですね」

「前に来たことありますが、1つ道を間違うと違うとこへ行ってしまうのですよ。その時はまだ明るい時間でしたが、夜になるとさらに分からなくなりますね」

と田中知美は不安そうな顔をして言った。

「ルーカスはスマホとかアプリに詳しいけど、なんでなの?」

と里保が聞いた。

「はい、僕はポルトガルの大学で情報科学を専攻していて、スマホアプリの会社で働いていたんですが、日本のアプリ開発企業に行きたい夢があって、勉強して2年前に入社が決まり日本に来ました」

「そうなのね。道理で詳しいと思った。頭も良いのね。日本語も上手いし」

「いえいえ、僕なんてまだまだです」


【午後22時49分】

 こども園前の信号を越えて下った先に「西丸山」のバス停があった。また信号があり、渡ったあとに左へ曲がると、同じような「大日丘」バス停があった。あれ?さっき見たような光景?と思うような景色が続くのが、この丸山ダンジョンの難しさ。

 それに、六甲縦走路の行き先看板が見付けにくく、夜ではライトがその看板を照らさないと気が付かない位置にあったりする。曲り道も多く、ここをこっちに曲がるのかという曲がり角も多く、信号や坂道もあるので、ロード区間と言えども、そこまで速くは走れないエリアとなっている。

 この丸山エリアは自動販売機(いわゆる自販機)も多く、これから続くキツい2つの山、菊水山と鍋蓋山は自販機がないので、大龍寺まで補給できないため貴重な補給場所となっている。


 神戸電鉄有馬線の高架下のトンネルを抜けると、源平町と名が付いた町のエリア一番急坂を登り始めた。

「ここはいつも明るい時は前が見えて坂の角度やどこまで登るか見えちゃうからしんどいけど、夜だと先が良く見えないから少し気が楽に感じるわね」

「里保さん、確かに鉄平塾でいつも試走している時は朝なので、みんながこの坂の先を見上げて足取りが重くなるんです」

「この辺りは本当にダンジョンですね。今どこにいるか分かりません」

ルーカスがいつも以上に首をかしげて不安そうな顔をしている。

「ここは知っている人について行かないと分からないですね。ありがとうございます鉄平さん」

山田はるみは自他ともに認める方向音痴なので付いて行けることに安心していた。


【午後22時59分】

 先ほどの急坂を上って、この辺りでは高台にある夢野白川線の高架下をくぐり、細い道を左へ右へ曲がりながら下ると、鵯越の駅前に出た。

「さあ着きました。この鵯越で、およそ六甲縦走の4分の1です。ここで少しだけ休憩して、菊水山へ行きましょう」


 鉄平たちはここまで予想通り、スタートから2時間以内で夜の11時前に鵯越駅に来た。宝塚までおよそ8時間のペースだ。

 駅前だと言うのに当りは暗くて、自販機の明かりだけが浮かび上がり存在感を示している。

「菊水山を暗い時に登るのは不安ですね」

「はるみさん、大丈夫よ。さっきも言ったようにくらいと角度や上が見えないから淡々と行けばいいの」

「鉄平さんに無心でついて行けばいいだけっすよ~」

「はい、僕は最後尾からついて行きます!」

谷山亮とルカク・ルーカスが、安心させるように後押しした。


 みんなで出発しようかと言うところ小田が、

「すいません、私はちょっと身体の調子が悪くなってきたので、ここでもう少しいて、無理ならこの駅から電車で帰ります」

里保が心配して、

「あら、そうなので、心配だわ。ここからはきついから確かに無理しないで今日は帰った方がよさそうね」

「おだまゆさん、お疲れ様です!」

谷山が元気に声を掛けてお見送りした。


【午後23時2分】

「さぁ、そろそろ向かいましょう」

鉄平が言うと、谷山が、

「なんかドラクエのダンジョンに行くみたいっすね」

 鵯越駅のホームの裏にある細い土の道をゆっくりと進みだした。ホームの薄暗い照明の裏から離れて行くとあたりは真っ暗になり、小さな公園みたいなところを抜けると、いよいよ本格的なシングルトラックのトレイルに入った。

 鉄平はこのトレイルが好きだ。先ほどの住宅地から離れてすぐに、こんな森深く走りやすいトレイルがある。明るい時間には緑も多くほぼ平坦で緩やかなカーブが続くトレイルが気持ちよく走れるのだ。夜はライトの明かりでしか先が見えないが、都会の喝采、昼間の明るさから離れ、自然の暗闇の中を走る非日常の世界観が何か興奮じみたものもありつつ、心を落ち着かせるそんな不思議な感情が湧きたつ。


【午後23時8分】

 一度、舗装路に出て島原ポンプ場横の急な坂を歩き出した。登りは無理して走らず、少し早歩きくらいで鉄平は先導する。続いて、六甲縦走路の看板が見え、右に曲がるとまた細いトレイルに入り少しの下りを抜けると、また舗装路に出てきた。川の流れる音がかすかに聞こえ、静けさの中にも心地よい音色がバックミュージックのように流れる。


「この先にエイドがあると思いますよ」

「こんな夜にもエイドがあるのよね」

鉄平と里保が話し始めるとルーカスがいつものように不思議そうな顔をして聞いてきた。

「こんな山奥の暗いとこにどうやってエイドを出すのですか?」

「確かにこの車道はどこかと繋がってるんですかね」

山田はるみも同じように考えて聞くと谷山が鉄平の代わりに後ろから答えた。

「この辺で島原貯水所の周回コースで練習会したことあるんですが、この道をずっと下ると湊川の方に繋がっているんですよ~」

「そうなんですね。でも地理感がないから分からないです」


【午後23時11分】

 少し車道を進むと山麓バイパスの高架下に、1台の車が止まっており、明かりが見え音楽とランナーの盛り上がった声が聞こえてきた。

「初めてのエイドに着きましたよ~」

「やっとですね、楽しみにしていました」

ルーカスは満面の笑みを浮かべ、エイドに駆け寄った。

「色んな食べ物も飲み物もありますね。フルーツポンチに温かいスープも」

 谷山が明るい蛍光色の彩り豊かなフルーツが入ったプラコップを貰い、口にふまふまとほお張りながらルーカスの横に行って、

「そして、生もありますよ。ほらサーバで注げます(笑)」

ルーカスは一度、鉄平と飲んだことがあるので、聞いてみた。

「鉄平さんは夜のトレランですが飲むのですか?」

「鉄平さんいつも飲んで走ってますよ。僕も前に一緒に走った1往復半のゲイをした時も毎回のエイドでも折り返しの須磨でも鉄平さんは飲んでました」

「よく飲みながら走れるわね」

松下里保が不思議そうな顔をしてつぶやくと、鉄平がようやく答えた。

「飲んだ糖質とアルコールは酔いが回る前にエネルギーに変えて走るので大丈夫なんですよ」

「不思議だ」「うんうん」「そうですね」

みんな同じように不思議そうな顔をして紙コップ一杯を一気に飲み干す鉄平を見ていた。

「他にもここから寒くなると思いますので、温かいものとか食べ物も食べたら行きましょう」


「私たちはもう少しここでゆっくりしてから行きます」

田中和美がそう言うと、一緒にいた山田はるみも続いて答えた。

「さっき、里保さんに暗いからこそしんどくないって言われて、この先のルートは分かりますので、2人でまた頑張って追い掛けますね」

「そうなのね。頑張ってね、晴美さんたちなら登り強いからすぐに追いつくわ」

「じゃあ僕らは出発しますね~」


【午後23時14分】

 エイドにまだいたかったと、後ろ髪を引かれながら少し進むと急坂があり、神戸市建設局の鈴蘭台処理場があった。それを左に巻くように舗装路が続き、「菊水山まで1.0km」と言う立て標識があった。

「菊水の山頂まであと1キロしかないんでしたっけ?」

谷山が鉄平に聞くと、

「いや、もうちょっとありそうな気がします。実際には2キロ近くはありますね」

「あれよ、山の距離表示は、ほぼ正確だったことなんてないのよ」

里保が笑って答えた。


 車止めの細い道を抜け、少し開けた道からまた左に入ると登山口の階段が始まった。また川沿いの道となり、静けさの中に次第に水の音が大きくなってきた。鉄平がライトを当てると「菊水山堰堤」と言う看板があり、そうかここに砂防ダムがあるんだなと思った。

 先ほどから近くに流れている川は島原川で、谷山が話していた周回コースがある島原貯水所と繋がっている。さらには上流に石井ダムがあり、菊水山周辺には重要な水関係の施設が多い地域となっている。


 少し開けた場所に出て鉄平が案内した。

「この左の上にあるのは神戸電鉄の有馬線です。そして、標識もまだ残っていますが2018年まで、菊水山駅と言うのがあったんですが、今は廃止駅になっています」

「なんか心霊スポットみたいですね」

ルーカスが言うと里保がこの場所をフォローするように補足した。

「ここは昼間に来ると開けていて春は色んな花が咲いていて綺麗なところで、ここから菊水山の山頂が見えて良いところなの」

「そうなんですね。今は暗くてよく分からないです」

「折り返してここに来ることをまた楽しみに戻ってきましょう」

と谷山がみんなに気合を入れるように盛り上げた。

 その盛り上げに答えるかのようにちょうど向かいから明かりが見え、神戸電鉄の鵯越駅23時18分着、新開地行きの電車が静かな山の中をガタンガタンと音を立てながら通過して行った。


 走ると少し揺れる橋を越えるとまた急な階段が始まり、その先は細いトレイルが続いた。

ここもまた良い雰囲気で気持ちよく歩いて行くと少し広い広場に出た。


【午後23時22分】

「いよいよここからね」

「ここから45度はあるかと思える急登階段が続きます」

鉄平が少し誇張したように言うと、

「そんなにあるんですか!」

ルーカスがマジで驚いた顔を見せたが、また里保がすかさずフォローした。

「さっきも言ったように、暗いから角度なんて分からないから淡々と登ればいいのよ」

「分かりました。みんなと一緒にいたら本当に安心です!」

 丸太の木で作られた段差も、いびつな階段に左にロープの手すりが付いており、それを引っ張って登りながら鉄平は、

「同じようにこうやって引っ張って身体を上に持ち上げて登ると楽ですよ」

と後ろにいるみんなに伝えた。 


 カニを食べる時と急登を登る時は無口になると言う。トレラン界あるあるなのか。

 足を置くこと、体重移動すること、ロープで引っ張るタイミング。一歩一歩に全集中するからこそ、真剣になってしまう。この木段はそう考えて見ると、明かりを当てると光って見えてカニ身だ。いや、カニ身がそんな固いわけない。もっとプニプニするはずだ。

何を考えているんだ?と谷山は階段の上を見上げた。

「こうやって、薄白く光る気の丸太を何度も見てると… カニ身に見えるわね」

里保がそうつぶやいたそのあと、静かな夜にさらに静けさが5秒ほどシーンとした空気が張り詰めた後、谷山が。

「そおっすよねぇぇぇ~~~!僕もカニ身に見えてました!」

「いいわよ、いらないフォローしなくても」

「夜のトレランを、それも急登をひたすら登ってると幻覚が見えるって言いますけど、カニ身って(笑)」

鉄平が更にフォローをするとルーカスが、また不思議そうな顔をして、里保に聞いた。

「カニ身って何ですか?」

「もういいの、カニの話は!」


【午後23時29分】

 ヘッドライトの明かりを照らすと今度は黒いゴム製の階段が目の前に壁のように現れた。

通称「黒階段」 菊水山の名物となっている。45度はあるかと思える段差も高い階段が、この菊水山は5回ほど続く。そして、その間にある岩場のトレイルもかなりキツく、先ほどの広場から山頂まで1キロもないくらいで一気に200mほど登ることになる。


 黒階段のほぼ最後かと思われる中腹に来るとそこから、こんなに登ったのかと思えるほどの眺望が見渡せる場所があった。休憩所の横に見えた菊水ゴルフ場が遥か下に見えるほどそこは高いとこまで来ていることを実感させた。

「この黒階段を越えれば、もう山頂はすぐそこですよ~」

「やっぱり夜だったら、あっと言う間ね」

「はい、キツかったけど結構すぐでした」

ルーカスは夜景を見て、もうすぐ山頂だと聞いて表情が明るくなってきた。


【午後23時36分】

 最後の細かい木段を登りきり、少し開けた広場に出ると目の前に下から見えていた鉄塔があった。そして、「菊水山」と書かれた大きな石碑があり、この山頂は459mであった。

楠木正成(大楠公)の600年祭が1935年に行われた時に、楠木氏の家紋であった「菊水」が、この山の中腹で若松として作られたことでこの名が付いたとされる。


 山頂の石碑の向こうに休憩所と展望台があった。そこに施設エイドがあったので少しだけ休憩することにした。

「あ!パンダさん!」

「ぉ、鉄平さん待ってましたよ。いろいろあるんで寄って行ってください」

「このパンダさんは、いつも六甲縦走でピンクの大きなカバンを背負ってパンダの被り物しててよく会うんですよ」

「六甲縦走は仮装している人も多いですよね」

谷山がそういうと、里保が初めてツッコんだ。

「あんたも、仮想しているじゃないの。そのゾンビみたいなメイク、夜に怖いわよ」

「えぇ~みんな気付いているなら、もっと早く突っ込んでくださいよ~」


「それではパンダさんありがとうございました~」

「おぉ、もしかしたら明日の昼過ぎまでやってるかもだから、頑張って帰ってきてね」


【午後23時38分】

 菊水山では軽く済ませるだけで、先を急ぐことにした。山頂から下りに入り、「鈴蘭台」に行ける看板もあったが、そのまま次の鍋蓋山へ向かう。六甲縦走路の中でも西縦走路はアップダウンが多く、特にこの菊水山から鍋蓋山の2つの山は400mほどの山だが、登って下ってまた登ってが激しい区間となっている。

 菊水山からの下りはガレ場の岩下りとなっており、夜間ではさらに難しくなっている。鉄平を先頭に下るルートや脚を置く場所を後ろに伝えながら、次の鍋蓋山の登り口である天王橋に下りて行く。

 「夜だと登りは楽なのに、下りはキツいわね。明るかったら淡々と下れるのに」

「里保さんはトレイルの下り上手いっすからね~僕は付いて行けないくらいっすよ」

と谷山はロードは得意だったが、トレイルは特に下りが苦手だった。


【3月31日午前0時3分】

 天王橋に降りてきて、ちょうど日付が変わり夜中の12時を過ぎていた。橋の上から見下ろした夜の有馬街道を走る車の明かりはほとんどなく、目の前の鍋蓋山も暗くてほとんど見えない。

「実は鍋蓋山は、菊水山のキツさが有名でみんな忘れがちですけど、鍋蓋山の方が標高が高くて、最初のつづら折れの登りとそのあとの岩登りがガチでしんどいんです」

「そうよね、鍋蓋山は階段がないだけで、トレイルの登りの角度としてはかなり急こう配よね。こっちの方が本格的な登りよね」

鉄平と里保が話しているとルーカスが、

「でも、ここを越えたらもうすぐ半分なんですよね」

「そうですね。鍋蓋山を越えればあとは緩やかな下りで、太龍寺を越えロードの下りを下りたらもう市ケ原で六甲縦走のちょうど中間点に着きます」

鉄平がいつもながら親切な説明をするとルーカスはほっとした。

「じゃあこの登りを頑張りましょう!」


【午前0時24分】

 途中にある岩登りを越えるとあとは比較的な緩やかな登りになり、鍋蓋山の山頂に着いた。この鍋蓋山の標高は486mで先ほどの菊水山の459mより27mだけ高い位置にある。


「さぁ、ここからはあとは下るだけですよ~」

鉄平が言うと里保が補足した。

「下り基調と言うだけで、登り返しも何回かあるけどね」

 鍋蓋山は天王橋からは急登となっている以外、その後は比較的緩やかな丘形状の登りとなっており山頂に着く。そして、下りも緩やかな下り基調となっているため、山頂は鍋のフタ状になっているため、この名が付いた。


「ここの下りは気持ちよく走れるからとっても好きなの」

里保が笑いながら先頭に出て、少し気分良く飛ばしだした。

「待ってくださいよ~」

「あんたいつもは置いて行くくせに」

と谷山もそれを追いかける。


【午前0時34分】

 再度公園への分岐の広場に主催のけんこう堂の整体ベットと横には通称「エロ本エイド」があった。谷山がそれを見て、

「ぁ、ここでみんなで、、、」

と言いかけたところで、里保が制止し、

「ここはスルーして下のエイドまで行くわよ」

「ぇ、ぁ、はい」

「あれは何ですか?」

とルーカスが今日一、不思議な顔をして、さらに少しニヤついて聞いてきた。

「いいの!」


 また少し暗い緩やかなトレイルを下って行く。そして、広い広場に出て自動販売機があったが、下にエイドがあるのでスルーした。舗装路の急な下りを下って行くと、赤い大きな門が見え、明かりと喝采が聞こえてきた。


【午前0時39分】

「着きましたね~ここも温かい豚汁も、飲み物も色々ありますよ」

「鉄平さん、この大きなビンは有名な銘柄ですか?」

ルーカスが興味津々で聞くと鉄平が答えた。

「これは森伊蔵と魔王ですね。レアで人気の銘柄がこんなところで飲めるんです」

「投げ銭して、少しだけ頂きます。有難いですね~」

「あんまり飲むと酔って千鳥足になって判断が鈍るわよ」

里保がそう言うと、鉄平はフライパンで焼いていた少し焦げ目がついた焼き鳥を串から口で引き抜き、笑って答えた。

「僕は逆に少し飲むくらいが感覚が研ぎ澄まされて気持ちよく走れます(笑)」

「鉄平さんいっつも飲んでますもんね~」

谷山もそう言って1口だけ頂くことにした。


 ここは明るくにぎやかな場所であるが、一歩先を行くと、車通りのない奥再度ドライブウェイがあり真っ暗な道路に、その先は多くの木に囲まれた下りの舗装路が続く。その先にはついに六甲縦走路の半分の地点「市ケ原」がある。

「さぁ、もうすぐ市ケ原です。少し急ぎましょう」

「はい、鉄平さん!付いて行きます」

ルーカスが意気揚々と道路を走って渡る鉄平に付いて行き、里保と谷山がそのあとを追いかけ走り出した。


【午前0時41分】

 さっきまでは全く車通りが無かった車道に右の方からライトが見え、物凄いスピードで飛ばして来たのであっと言う間に近づいてきた。あたりは先ほどまで静かで風もないのに風を切る音とエンジンの激しい音が聞こえ、里保がビックリして立ち止まってしまった。

「里保さん!危ない!」

そう反射的に体が反応して振り返り、ルーカスが里保をエイド側に突き飛ばした。

「キャッ!ルーカス!」

「ワオ!」

 車が目の前まで来ていたが、とっさにルーカスも体を低くして、里保のコケているところにヘッドスライディングした。

 なんとか、車はルーカスの足をギリギリ通過した。

「危なかったわ、ギリギリだったわね。ルーカス大丈夫?」

「はい、なんとか大丈夫です。里保さんは?」

「私は何とかうまく受け身を取れて、手をついたけどグローブしてるし、腕もアンダーウォームしているから何ともないわ」

「いてててて、、、」

「どうしたんですか?ルーカスさん」

鉄平も駆け寄ってきた。


 里保がルーカスの膝に気が付いた。

「あら、その膝すりむいているじゃない?」

「あぁ、少し痛いです」

「その怪我で走れる?」

 ルーカスは立ち上がって、膝を確かめて見るが、歩けそうではあるけど、どうも長い距離を、しかもトレイルを走り続けるのは厳しいと感じた。

「僕、ここまで来て楽しかったですが、ここで少し休んで治療して、この道を町まで歩いて帰ります。


 そう話していると、エイドの一人が心配した様子で声を掛けてくれた。

「良かったら、私たち夜中の2時には撤収して車で市内まで帰るので、1人なら乗せて行ってあげれるわよ」

「そうですか?ここから街までどれくらいですか?」

「この道を下って5キロで諏訪山公園まで行けるけど、さっきみたいに車は飛ばしているし、怪我しているし車に乗って行って」

「はい、分かりました。日本の皆さんは優しいですね」

「ルーカスさん、街に着いたら連絡してください!僕たちは先を行きますね」

 鉄平は苦渋の表情を浮かべて、ルーカスに手を振り、再び先ほどの道路を車が来ていないか慎重に見て走って渡った。

「ルーカス、どこかのネットカフェでも泊まって朝に病院行くのよ」

「はい、心配かけてごめんなさい」

「そんなことないわよ、あなた私の命の恩人だわ。もし私がまともにひかれて死んだりでもしたら、、、六甲縦走殺人事件になってたわ」

里保は少し冗談も言って微笑みながらルーカスに手を振って、真っ暗な舗装路の下りを走り始めた。


【午前0時47分】

 下りの舗装路を走っているのは鉄平を先頭に、続いて里保、後ろに谷山という隊列で3人となっていた。

「なんか、3人になっちゃって、だんだんと人数が減っていきますね」

「そうね、仕方ないことだけど、このまま人数が1人ひとり減って言って、そして誰もいなくなった、ってならないかしら?」

「里保さんは小説好きですね(笑)」

谷山が言うと鉄平も話した。

「僕も文章を書いたり、計画やあらすじ考えたりするのが好きなんですよ」

「鉄平塾のブログいつも読んで勉強になっています!」

谷山がそう盛り上げると、細いトレイルの道に入り、その先にある川を渡る橋を渡ると河原に3人は着いた。

「さぁ、この階段を登れば半分の市ケ原に到着ですよ」

「はぁ、でもまだパワーでは4分の1よね。これまで色々ありすぎて疲れたわ」

「ここで少し休んでいきましょ~」

そう言って谷山は自販機でコーラを買いベンチに座ってゆっくりと飲みだした。


【午前0時54分】

 鉄平はこの先のことを考え、目をつむり少し落ち着きを取り戻そうとした。何人かのランナーもここで休んでおり今はちょうど、夜中の1時前で、色々あったとは言え、道中はパックで早く進んでいたため、4時間でここまで来た。六甲縦走8時間ペースとかなり速く来ていたことになる。

 これからまだ先は長いが、折り返しの宝塚ではスピードの人たちが合流するまで休めるので、9時間以内では行けるようにと鉄平は考えていた。


第四章~夜の摩耶山で事件発生~https://note.com/teppeijuku/n/n15046368c0a7

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