フィードバックのヒント ~ナイス・トライ、ナイス・チャレンジ
パラダイム(paradigm)とは、
ある時代や分野において支配的規範となる「物の見方や捉え方」のことです。
考え方を拘束する枠組み、価値観をさすそうです。
狭義には科学分野の言葉で、天動説や地動説に見られるような「ある時代を牽引するような、規範的考え方」をさします。
このような規範的考え方は、時代の変遷につれて革命的・非連続的な変化を起こす事があるそうで、(=天動説から地動説への変化など)、この変化をパラダイムシフトと呼ぶそうなんです。
「パラダイム」とはどんなものか?
小さな子どもと母親が小さな路地を通りかかり、そこに大きな犬がいました。
母親は通り過ぎましたが、子どもは犬を見てカチンと固まっていたそうです。そこで母親が、
「大丈夫だよ、こっちへおいで」
と言ったそうです。そこにも「パラダイム」があるそうです。
つまり、
・犬は怖いものであるということ
・人は怖くなると動けないということ
ということが無意識に内在されているのだといいます。
このように、人はいくつものパラダイムを持っているのだそうです。
一番目のパラダイムは、 考え易いものが正解である
二番目のパラダイムは、 答えは一つだけである
三番目のパラダイムは、 多くの人が信じることが答えである
四番目のパラダイムは、 権威や発言力のある人が答えとなる
などなど、真実を追求する前に、価値観を模ってしまう枠組みがあるそうです。
言葉のパラダイムというのは大きな力がはたらくようです。
犬がいたとき「怖くないよ」というのは、「人が怖いと動けない」というパラダイムからさらに、「チャレンジしてはならない」というパラダイムになるそうです。
「怖いと動けない」ということは、「怖いという心」 と 「動くという行動」 を結び付けてしまっています。でも、本当は別々に分けて考えることが必要です。きっと日本人と欧米人の宗教観も影響しているかもしれません。
子どもが犬を目の前にして動かないのは事実ですが、なぜ動かないのかはわかりません。
そこで子どもに聞いてみるのだそうです。子どもが「他にない」というまで聞くのだそうです。
子どもが頭ごなしに、「怖くないよ」と言われると、自分の怖いという感情を否定されたことになり、
自分の感情を解放しなくなるかもしれません。
大人が思い込み、あれこれ先回りしすぎることも多いのかもしれません。
「言葉」~ほめる?/ほめない?
「言葉」の縛りについて、やや関連する話題になりますが、
「ほめる」/「ほめない」 についても考えさせられたことがあります。
近年は、「ほめる」ことの重要性が言われていて、
ともすると「叱る」ことを良しとしない風潮にあるようにも感じます。
また、実際問題「叱咤激励」の場面はどこにでもあるにもかかわらず、それをどのように受け止めたらよいか、対処できない子どもや若者が多くなっているようにも思えます。
「ほめる」は、主語は「あなた」で、相手を評価するものです。
こればかりになると、相手は評価されることばかりが気になります。
「手伝ったあなたは、いい子だね」 などです。
これに対し、「認める」は違うといいます。「認める」は、主語が「わたし」で、現実を認めます。
気持ちを述べ、認める対象は、現実、行動など具体的な事実です。「わたしは、あなたが手伝ってくれて、うれしかった」 などです。
「認める」かかわりをしていると、創造性や、段取り力、見通し、コミュニケーション力がつくそうです。失敗しても、ストレスに耐える「心の筋肉」がつくそうです。またバイタリティのサイクル(生きる力)が、いい方向に回りだすといいます。
○自分から何かをしたいと思うこと(自発的意図)
○作戦(戦術・戦略)
○決断
○行動
○成功
○失敗
「認める」には、「Iメッセージ」と「意図的メッセージ」があり、
・主語が「私は」というメッセージで
・意図(こうあってほしい・こうありたいという気持ち、背景、ビジョン)
・起こったことや、おこなった行動
・その具体的な影響
・本当の気持ち
というポイントがあるそうです。
また、結果が×のときは、プロセスを認める、結果も×、プロセスも×な場合は、姿勢を認める
といった具合に、感情とは切り離した視点をもち、
第二の感情とも言われる、「怒り」をコントロールし、かならずその前に先行する「第一感情」、つまり、ホントの気持ちを伝えることがあるべき状態なのだそうです。
認めることを通して、自尊心を育てると、他人も大切にするようになる。
自分で問題を見つけて、解決していく人が求められる。子どもに選ばせる体験をさせる。
失敗を怖がらない/失敗から学べる
大人が、必要と思って伝えることが、逆効果になっていることってたくさんあるんだろうなと考えさせられます。
失敗を避けて行動できない子どもや若者たちは、打たれ弱いといいます。
大人が子どもの行動を管理しすぎていると、子どもに責任感が身につかず、責任ある行動をとらなくなる。
失敗から学べること、
・困難に耐える「ストレス耐性」、
・失敗の後に取り戻す「復元力」、
・やり方を変えて想像する「修正力」、
・失敗の心の痛みや他人の痛みがわかる「やさしさ」
・やるだけのことはやった「完了感」
ですから、まずは最後までやらせてみること、経験させてみること、そして「後始末」を通して、問題解決能力を発揮させること。「成功か失敗か」よりも「チャレンジしたこと」を認めること。
ありのままの感情を否定せず、たとえネガティブな感情でも、それを持ちながら行動する大切さの立場に立って、悔しい、つらい、苦しい気持ちは押し殺さず、しっかり味わうことが大切。
そうしていくことによって、自分から働きかけることでの失敗を、自分の責任感のもとで、ありのままを受け止めらるようになるのだと思います。
失敗したときは、ほめもせず、叱りもせず、認めてやること。
そして、つらい気持ちを分かち合い、サポートすること。
うまくいったときは、
どこがうまくいったか?どうして成功したか?勝因は何か?次は何をしたい?
というフィードバックをさせてやること。
「ナイス・プレー」よりも「グッド・ジョブ」、
さらには「ナイス・トライ」や「ナイス・チャレンジ」
または、「ナイス・アクション」
といったところでしょうか。
「フィードバック」という話題に関連したものでいうと、
体操の男子、内村航平選手が小学生の時に、自由帳に自分の演技を鮮明にイメージ化したイラストがあるそうです。
運動の習得の過程における、自己分析とか客観視のイメージ力などで注目すべきものだと思います。
「運動能力」とかというもの
運動能力には二つの側面があって、
○ 運動体力
筋力や持久力、瞬発力などエネルギーの生産力、運動の種類を問わない共通性
○ 運動技能
速さ、正確さ、安定性などの知覚、運動協応、 運動の種類への特殊性がある
これらの二つをどのようにスパイラル的に高めていくかが大切になってきます。
また、運動能力の段階としては、
初期:関心や意欲、モチベーションを高める
中期:フィードバックを伴う技能練習
後期:実力発揮、メンタルの調整の練習
という過程を見ていかねばなりません。
内村選手の子ども時代のイラストは、特に、運動学習における「フィードバック」機能として、大変注目すべきです。
フィードバックとは、自分の前の運動を手掛かりとして、イメージの修正や明瞭化がなされるかが大事です。
その際、さまざまな把握の過程があると思うのですが、
技術の説明 < 言語的フィードバック
目標提示(他者の動き)< 視覚的フィードバック(自分の姿)
など、ポイントは、言語よりも視覚的に、他者を観る眼よりも、自分の姿を客観視する眼
といった具合に、自分の運動そのものをイメージ化し修正化できているかが勝負。
つまり、内村選手の子どものころは、すでにそれらの能力が備わっていたということです。
望ましいのは、技術の説明は、簡潔で具体的に、または比喩を用いたもの、言語的フィードバックでは、修正情報を与えること、
「ひとつ叱り、ふたつ褒め、みっつ教えて、4つ聴く」
モデルを見せた後は、必ず自分の姿を考えさせる。
という過程を経て、自分の中にある試行錯誤や自問自答ある運動学習をすすめることだと思います。
(2012年)