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言葉(用語)で変わってくる、バレーボールの見える景色

Volleyball Nations League 2021

 今年は特に、東京オリンピック直前の最終調整として各チームの戦略に見応えがあります。日本でも、日本代表戦はテレビ(BS)で全試合観ることができます。またWEBでは、VolleyballTVですべての試合をチェックでき、世界と日本のバレーボールの今を知ることができます。ほぼ毎日のようにバレーボールの試合が日本でも観ることができる、幸せな期間です。

多くの人にバレーを観てもらえるようになり再び焦点が当たる「用語」

 そんなバレーボール ネーションズリーグ に今まで以上にたくさんの方が日本でもバレーボールの試合に関心を寄せている中、画面や実況・解説などから伝えられる、種々の「用語」に再び焦点があたっています。

 バレーボールは、比較的歴史の浅いスポーツ競技であり、今日に至るまでの間、めまぐるしくルールも変更しています。さらには、そのルールの変遷に沿うようにプレーの原則や技術の考え方も変化しているし、何よりも戦い方、戦術やシステムといったゲーム構造が変わっています。バレーボールは4年に1度のオリンピックが最大のターゲットになっていますが、オリンピックごとにバレーボールの様相は変わってきています。

 ですから、バレーボールで採用される「用語」も変容していくのは、自然のことであるとも言えます。

 今回、話題としてあげられている「用語」。観ている人にとっては、ついこの間まで言われていた、例えば、WS(ウイングスパイカー)が、なぜOH(アウトサイドヒッター)になったのか。突然変わっては戸惑ってしまう。または、意味的には何やら似たようなものだから、いちいち変えなくてもいいのではないか?そういう考え方もあるのかもしれません。

 しかし、「用語」は、観ている人向けである前に、ゲームやプレー、プレーヤーが用いるものとして存在するのが前提であることはみなさん同意いただけると思います。

 特に、日本のバレーボールにおける「用語」、用いられる言葉の問題は、実はただ単に、「統一されていない分かりにくさ」だけではない、根深い課題を反映していることをお伝えしたいのです。 

「言いやすい」「覚えやすい」ためだけのものではない「用語」

たかが専門用語、されど専門用語。
用いられる用語、つまり言語化されたものというのは、プレーやゲームにおける思考の材料となるわけです。

コミュニケーションを円滑にする共通言語
ゲームやプレーの構造化による戦術化するためのマテリアル
思考を空白にしないための情報やデータ
観ている者にゲームの要素がわかりやすくなるためのツール

用語は大事なんです。
 その点がもっと焦点化されないといけないと同時に、ただ統一して人々に広く普及すればいいだけじゃなく、特にプレーヤーやコーチたちにとっては、彼らのバレーボールに対する思考やマインド、ゲームやプレーの概念や価値観に大きな影響を与えるという点をみなさんにもご理解いただきたいのです。
 バレーボールは時代とともに目まぐるしく変化しています。こらからはICTの進歩と活用がさらに進み、データとそのアナライズは必須になってくる時代です。それがまたゲームやプレーの変化に影響を与えています。例えば、ブロックシステム。MB(ミドルブロッカー)のリードブロックとコミットブロックの使い分けなどがあるのではと考えています。(この話はまた別のところで)
 ですから、プレーやゲーム構造、戦術が変われば、用語が変化するのは当然のこと。
 しかし、日本で語られている「用語」の問題は、わかりにくい、めまぐるしく用語が変わって覚えられない、変わる必要性がわかりにくい・・・という論点が目立っていること自体が、課題なのではないでしょうか?

 用いる用語によって、プレーする者の思考は変わってきます。もちろんコーチの思考も変わります。見る人も、プレーヤーやコーチの用いる言語に触れることで、彼らが何を考え、どうやって判断し、どういう戦術意図をもっているのかを知ることができます。見る人もプレーヤーと一体化できるわけです。
 こうして、用語によって、バレーボールで見える景色が違ってくるのです。
 もちろん国によって、違いがあってもいい。ただ用いる用語、または用語への理解やイメージによっては、プレーヤーの思考判断やコーチによる指導方法に影響を与え、プレースタイルやゲームモデルに影響を与えている部分もあることは知っておきたいです。

トスから「セット」へ

 バレーボールでは、自チームでできうる3回のボールタッチの中の、レセプションやディグの1回目のボールタッチの次に、2回目のボールタッチでは主にアタックをアシストするためのセットアップがなされます(ツー・アタックもあるが)。いわゆるセッターが主に役割を果たすプレーです。
 日本では従来長い間、そのプレーを「トス」(toss)と言ってきました。しかし近年その用語は「セット」(set)に置き換わってきています。

 「トス」という言葉には、(ボールを)放り投げるといった、単独の動作が表現されています。
 これに対し「セット」は、設定設置する・配置する・位置づける・・・といった動作自体に加え、他へ何らかの意図や作用の働きかけが表現されているわけです。
 ですから、ざっくり(少し乱暴に)言うと、

「セッターがトスする」
 →とにかくボールを上げてやった。そのボールにアタッカーに合わせる責任が移行する。(セッター主導&アタッカーの受動的シチュエーション) 
「セッターがセットする」
 →アタッカーの状態や意図を把握し、アタッカーがハイパフォーマンスを発揮できるように、セッターが合わせアシストする。(アタッカー主導のアタッカーが能動的なシチュエーション)

 という違いになってくるわけです。
 実際、日本のバレーボールのテクニックや戦術の変遷をたどってみると、「トス思考時代」が長く続き、世界はもうすでに「セット思考」だった。正確に言えば、日本でもかつて世界の頂点に立ったミュンヘン五輪時代などでは伝説的セッター猫田勝敏選手は「セット思考」であったことはよく知られています。
 ところが日本のバレーボールはいつしか、セッターが「司令塔」と言われるようになり、アタッカーたちはセッターに合わせる、セッターの様子をうかがうといった、積極的思考や能動性が発揮されにくくなり、現代バレーの数的優位オフェンスシステムの導入が大きく出遅れてしまったわけです。

(サーブ)カット、(サーブ)キャッチは死語に

 バレーボールのゲームの開始、ラリーのスタートとなるサーブを、対するチームが返球するプレーで、日本ではサーブレシーブということが多かったかもしれません。また長年バレーボールに親しまれている方にはサーブカット(略してカット)やサーブキャッチ(略してキャッチ)という言葉をよく耳にしていたかもしれません。
 まず、バレーボールのプレーやルールの性質上、カットやキャッチはあり得ないわけですが、伝統的に日本のバレーボールはディフェンシブな考え、守備重視な傾向があり、さらにはテクニック研究に熱心な日本の指導者たちは相手のサーブを受けるという単独の動作として、姿勢や腕や足の角度、使い方など、ボールコンタクトをする個人や個の細かなパーツがフォーカスされ、思考や指導の焦点になりやすかったのです。
 「レセプション」は、サーブを受けるという点では、レシーブと同義に感じられますが、やはりレセプションの方が単独の動作としてだけではなく、意図を伴った動作、次の展開を視野に入れた動作、さらにはそういった意図や展開をふまえた、他への働きかけ(セッターへなど)のある能動的かつ積極的な意味合いが出てきます。
 「待つ」から「迎え出る」。返球しオフェンスシステムへの仕掛けを開始する。そういう思考が必要だったわけです。

 日本では、キャッチやカットという言葉によって、おそらく思考が単独の切り取られた動作でしか考えられなくなり、いわゆる画一的な型はめ指導に誘導されていったり、非科学的な感覚的な技術指導が一般化されてしまったり、「レセプション・アタック」というトータルなシステム論に目が行きにくくなっていったのではないでしょうか?
 アメリカなどでは、レシーブではなく「パス」(pass)と言うこともあるそうです。バレーボールの場合、パスといっても実際は「セッターへの返球」と同義になります。パスもセッターに対する意図を含んでいると考えられますね。

スパイク レシーブと「ディグ」は違う

 スパイクレシーブは、「相手の強打(スパイク)を受ける、単体の 動作を表しています。これに対してディグは、レセプションを除いたフロア・ディフェンスに関わるプレー全てを表しています。
 国際大会での公式記録では、レセプション以外のボールを受ける動作は、スパイクやカバーリングなどを含めてすべてディグと判定されるようです。

  日本では従来から「レシーブ」と言われてきたものが、「ディグ」と「レセプション」とに分けている点がゲームやプレーの思考に影響を与えます。
 特に、ディグという用語には、ビーチバレーを語源にしているという一説があり、そこでは砂を掘り返すような状態でボールを受けるためと言われています。
 個人的には、ディグには、しっかりと足元を固め、しっかりと立ち、ボールを上に上げるというイメージが表現に加味されているように感じます。
 実は、日本のバレーボールの技術指導、特に守備の技術指導では、確かに「レシーブ」という概念が多用されてきました。サーブレシーブ、スパイクレシーブ、フェイントレシーブ、ランニングレシーブ、ダイビングレシーブ、回転レシーブ・・・まあまあたくさん出てきます。
 しかし、どれも「ボールを落とさずに受ける」だけにフォーカスされた動作的な概念で、そこから、しっかり位置をとって足元を固めて立ち、ボールを上にコントロールするという意識が、日本では弱まってきたのではないかと考えています(個人の推論です)。
 ディグは、ただ単にボールデッド(落とす)をしないだけではなく、セットやスパイクなど次の展開を生み出すためのプレー。
 しかし日本のディフェンス指導は、「レシーブ練習」を重視し、とにかくボールを落とさないためにと、精神論に訴えたハードワークだったり、フォームや姿勢の型はめに終始したり、はやいひくい返球でスピードを求めようとしたり・・・。これが「フロアディフェンス」における「ディグ」という概念があれば、多少は合理的な練習やゲームシステムに近づいたのではないかと考えます。

なぜ「テンポ」なのか?

 オフェンス(攻撃)面においても、同様な日本が用語の在り方によって、国際的に遅れをとった現象がたくさんあるわけです。
オープン、セミ、クイック
Aクイック、Bクイック、Cクイック・・・
 日本では、こういった分類がオフェンスの主流で2000年代を迎えてしまいました。
 ところが国際的には、1990年代にはもう、上記の分類では説明のつかないオフェンスシステムが見られるようになり、2000年代になってからはブラジル男子がフロンティアとなって、現代バレーのオフェンスシステムへとアップデートされていきます。残念ながら日本は、そのアップデートの波に乗ることができませんでした。

 そこで「テンポ」という概念が日本でも考察されるようになってきたわけです。
 簡単に言うと、日本は、「高さやパワーで劣る分スピードで対抗する」という旗印のもと、誤った戦術論、ボールセットの時短とパフォーマンス縮小による、スモールバレーに走ってしまいました。その象徴が「はやいひくい攻撃」(はやいひくいクイック)だったのです。見た目の選手やボールの展開ははやくとも、選手のパフォーマンスは制限され、結果、相手ブロックにことごとく封じられるオフェンスシステムだったわけです。
 他方、「tempo」(テンポ)によるアタックの構造化をしていた海外では、同じクイックといっても、ある種の「使い分け」が成立していました。
 クイック、セミ、オープン、二段トスなど主にセットのボールの高さで攻撃のバリエーションを考えた日本に対し、
 zero、1st、2nd、3rdという「tempo」でアタック戦術を構造化していった海外では、いわゆるクイック攻撃にも多彩さがみられ、さらにこのテンポを踏まえたバックアタックが、pipe(パイプ:2ndテンポのバックアタック)やbick(ビック:1stテンポのバックアタック)などのように、ナチュラルにオフェンスシステムに組み込まれ、劇的にオフェンスシステムの幅が広がっていきました。
 日本はそのオフェンスシステムを導入できなかっただけではなく、戦術的な思考を持てないまま、オフェンスのトレンドに対するディフェンスシステムすら構築できなかった。ゆえにリードブロックがなかなか日本では浸透しなかったわけです。

OP(オポジット)の機能

ポジションの呼び名も面白いものです。
例えば、
ライト、補助アタッカー、ユーティリティ・アタッカー、スーパーエース、セッター対角・・・

時代とともにいろんな呼び方を耳にしてきた人も多い、今でいうOP(オポジット)というポジション。ここでも、日本では迷走してきました。従来から日本のバレーボールは、ポジションは「位置」という側面でしかとらえられてきませんでした。そういう間に世界のバレーボールは、役割や機能がポジションの名前にも反映されるようになってきました。これに対して日本では、役割や機能に近い名前が見受けられるも、それらはゲームや戦術の全体像や構造の中では、きわめて断片的で、限定的なものだったため、戦術的な広がりには結び付きませんでした

 OP(オポジット)は、役割や機能が表現されていませんが、現在、このOPが果たすゲームの中での存在意義がオフェンスシステムの中核となってきています。逆にポジションの名前に制限を受けることなく、オフェンスシステムの中でのOPの役割が大きくなってきています。

アップデートの要因には言語化も関与しているはず

「用語」は重要だと考えます。
 見ているファンがすべて用語の定義や背景を理解しなければならないということではありません。もちろん国によって表現される用語は違っていてもいいわけです。時々変わって覚える煩わしさがあろうかと思いますが、まずはプレーやゲームの「今」採用されている、選手の思考やゲームの構造や戦い方に基づいた言語(用語)にみんなが触れることで、バレーボールの魅力はぐっと高まってきます。魅力だけではなく、ゲームレベルも高まっていきます。
 個人的にはコーチ(指導者)をやっておられる方々は、用語を使ったり覚えることを目的にするというより、より広くバレーボールを学び情報を収集すれば、自然と用語は入ってくるはずです。それでもなお、便宜的な理由だけでキャッチやカットを用いるのであれば、残念ながら学びが深まったとは言い難いと思います。

バレーボールのコーチングが科学的かつ合理的ですべての人々のためのものになるため

バレーボールを「する人・みる人・ささえる人」みんながバレーボールの魅力や醍醐味にふれ、みんながバレーボールを楽しめるため


バレーボールのゲームの構造を理解し、戦術・戦略などへの思考とアップデートを導き、世界の中で戦える日本のバレーボールによって多くの人と興奮をシェアできるようにするため

 いずれにしても、バレーボールに触れる立場の違いはいろいろあれど、用語を介して理解できることや、互いにシェアできること、それによって高め合えることがあるわけです。
 
 用いる言葉(用語)によって、見えてくるバレーボールの景色は変わってきます。

 今、日本の男子バレーが人々をわくわくさせています。

これは、日本のバレーボールにおける従来の伝統的だったものとは違う、バレーボールの概念をアップデートさせた成果です。

個(人)から、組織やシステムへ

個別テクニックから、ゲーム展開やシチュエーション・フェーズへ

視点や論点、システムやゲームの構造化のエッセンスが変わってきたからです。それを支えているものの1つが「用語」となります。

 日本バレーボール学会が着手した、バレーボールの用語の整理というのは、バレーボールという競技やゲームの構造を理解し、プレーにおける適切な思考判断を導く、または技術の考え方や技術指導の概念を適切な方向に向けるために行われています。

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 バレーボールアナリストの垣花さんのツイートでも、用語についてわかりやすく発信されていたことがあったので、ご紹介します。

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(2021年)