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質の良い刺激、質の良い対話

(写真FIVB)

 問われるコーチング力、問われるコーチの資質

 (公財)全国高体連バレーボール専門部から、今年、2021年10月7日付で、「高等学校バレーボールの適切な指導の在り方について」という文書が、高校バレーの部活顧問、コーチ、スタッフ向けに出されています。
 内容は、高校バレーに限らず、日本のバレーボール界、とりわけ高校以下の小学バレー、中学バレーのカテゴリでも重要なものなので、みなさんとシェアしたいです。内容がとても具体的で、みんなで起こっている事象を評価するのに役立つ内容だと思います。

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今このタイミングで出さなければいけない現状への受け止めを

 体罰という名の暴力や暴行、暴言やハラスメントの撲滅に対するアクションは、どの競技団体でも議論や取組が進んでいるところです。
 しかし時代は昭和~平成を過ぎ令和という時代になってからの、高体連バレーボール専門部から出されている文書の内容は、決して先進的なものではなく、はるか十年以上前から議論されてきた内容です。つまり、バレーボールの指導現場の実情がそれだけ遅々として改善されていないという現実が読み取れます。
 競技団体によっては、先進的に指導者ライセンスのカリキュラムを見直したり、指導者や指導の理念やフィロソフィーや指導法を再検討しそれらをホームページで誰もが情報を共有できるようにしているところがあります。

 また、大会形式やルールなども年代カテゴリに応じたビジョンあるものに改革している事例もあります。
 今回の高体連バレーボール専門部からの文書からは、日本のバレーボールの指導現場の悲しい実情を映し出していると言えますが、このような文書が一部の協会関係者で止まっていたり黙殺されるのではなく、ホームページで公開し、誰でも閲覧できることは、広く一般の人々の間でも情報をシェアできるという点において、これを単なるお知らせ文書で終わらせることなく、「多くの人々のいろんな目で」今後のバレーボールの指導現場を見守っていくことができるチャンスだと考えたいです。

撲滅とアップデートの両輪で

 街や道路にゴミであふれている。

 「だからみんなでゴミを見つけたら拾ってゴミをなくそう」
 「ポイ捨てを無くすために、みんなで注意し合おう」

 これ「だけ」では、なかなか実現も浸透していきにくいわけです。
 ですから、「体罰は良くない」、「体罰はあってはならない」、「体罰撲滅」という発信はとても大事であると同時に、浸透や実現に向けては不十分なままになりがちです。
 こちらをご覧ください。JVA(日本バレーボール協会)でも、このような素晴らしい情報発信がなされています。
 素晴らしいと思える要素がたくさんあるのですが、特に単なる呼びかけやお願いだけではなく、「なぜ発生するのか」といったメカニズムにも触れられており、「どうやったら防げるか」のメカニズムにも触れられています。正直、みんなでちゃんとこれを観るだけでも、効果があるのではないかと思えるくらいです。
 しかし、他競技にも世の中にも誇れる素晴らしいコンテンツなのですが、もったいないことに、なかなか前面に出るようなインパクトに至っていません。いろんな声が寄せられるかもしれませんが、ぜひ、これを前面に押し出し、このジャンルでは世の中のオピニオンリーダー的なものになるよう果敢にチャレンジしてもらいたいなと願います。 

 今からでも、みなさんからもシェアしてもらい、発信していただきたいと思っています。

 下の記事にも個人的に大変共感しています。
 この点においても、日本のバレーボール界が先陣を切ってフロンティアとなってみてはどうだろうか?と思っています。

 体罰が無くならないことも問題です。それだけではなく、体罰が起こっちゃうことが問題でもあり、「体罰」っていう認識があること自体が問題です。「体罰を無くそう」といった呼びかけだけではなく、多面的・多角的にいろんなチャレンジがシンクロしていかないと、現状は動きにくいかもしれません。

刺激のクオリティを上質にしていく

 指導の一環、行き過ぎた指導、体罰・・・言い方や表現はいろいろあれど、暴力や暴行、暴言などには変わりはありません。体罰と言う言葉が用いられている限り、体罰はなくならないとも言えそうです。
 これらは、指導者が選手に対してなされるものです。そして少なからず指導者は、選手に対する働きかけ、指導をしているという認識(錯覚)のもとで発生しています。ですから指導の一環とか行き過ぎた指導、体罰・・・という表現が出てくるのかもしれません。
 
 そこで、選手のスキルアップや変容を願って、指導者が何らかの「働きかけ」をしていると考えた場合、それは怒りや暴言でなければ、選手は変わっていかないのでしょうか?もちろん、そんなことはないわけです。

 指導という前に、「働きかけ」とか「刺激」と考えてみるといいと思います。働きかけや刺激というのは、受け手によってリアクションも効果もまったく違います。ですから、人格と人権ある一人一人の世界観に、かかわる大人は関心と洞察が必要になってきます。

(1)質の悪い刺激
 子ども大人に関わず、選手本人を一人の人格ある個としてのリスペクトがない関わり方としての言動や行動は、すべて選手にとっての悪い刺激となります。社会規範(法)、モラルやマナーに反する行為は言うまでもなく、
 (選手や子供たちの)思考停止、自己肯定感の喪失、自己効力感の喪失、自信の喪失、楽しさが奪われたモチベーションの喪失などにつながるものは、いくらプレーの精度やパフォーマンスが上がってもすべて「質の悪い刺激」です。
 ここで気を付けたいのは、「悪い刺激でもパフォーマンスが上がる」ということです。
 「fight-or-flight response」「super human strength」(火事場の馬鹿力)という言葉を耳にすることもよくあります。
 これをもって、何か恐怖や苦痛を与えていいと間違った解釈が横行しているわけです。パフォーマンスが上がる、できるようになる、勝てるようになる・・・。という具合に正当化が始まります。

 「パフォーマンスが上がる」=「結果が出る」だけではないのです。
これらの「悪い刺激」の大きな問題点は、「依存症」「中毒」「後遺症」「副作用」「禁断症状」が発生することです。しかも指導者側にも選手側にもです。

 指導者側は、悪い刺激による働きかけによって「一時的に」パフォーマンスが上がったり、目の前の結果が出た時、それが必要なやり方だと思い込んでいきます。そして知らないうちに、そうしなければ気が済まなくなってなりエスカレートしてきます。一種の依存症みたいな感じです。
 同時に選手側も、「これを乗り越えれば明るい未来が待っている」などという甘い言葉を信じさせられながら、厳しい仕打ちを経験していくうちに、それに耐えるため、生き残る手段として「主体性を殺す」「自己主張をやめる」「思考停止にする」という悪いスキルを獲得していきます。その後待っているのは、同様の強い刺激かそれ以上の強い刺激を受けないと、行動できないという状況になります。
 こうしてある側面では、マインドコントロールや洗脳に近い状態になっていきます。強い短い言葉で罵声を浴びせたり、徹底的な厳しさや極限の恐怖の合間に光の射すような優しさを与えそれを繰り返したり、バレーボールという狭い世界の中に閉じ込めて広い社会や世界からの情報を遮断したり、「これしかない」という唯一論に乗せるなど、こうして「悪い刺激」は増長されていきます。バレーボールの指導現場ではけっこう見られたりするのではないでしょうか?

 このように、社会規範や法、モラルやマナーだけではない、重大な危険性が「悪い刺激」の与え方にはあるのを知ってもらいたいです。

(2)質の良い刺激
・楽しむ、楽しさファースト
・怒らない
・自己肯定感
・主体性
 ようやく、古いバレーボール指導からのアップデートとしての話題が見られるようになってきたわけですが、これを「働きかけ」「刺激」という視点で考えてみると、また新たなやるべきことが見えてくると思っています。
 
 先ほどの「悪い刺激」の逆で考えればいいわけですが、どういうアプローチをしていくとその実現に近づくのでしょうか?もちろん、褒める、認める、楽しませるということも必要であるとおさえつつ、

・安心と安全 
・あくまでも決定は本人
・本人のスッキリ感を邪魔しない
・一人一人違うのは当たり前
・自分自身との対話力を上げる
・他者との対話力を上げる
・先を見つめる機会
・振り返る機会
・本人のありのままを表現できる環境
・五感にうったえる多様な刺激からヒットする
・選手を俯瞰する「観察」と選手の世界観をともに味わう「感察」

こういった視点に立ってみることで、「楽しむ」「怒らない」「試行錯誤」「主体性」の実現に向かい、それが体罰やハラスメントの撲滅に向かうのではないでしょうか?

 こうやって「良い刺激」を考えていくと、いかに古い指導モデルというか、時代とともに変節(昔や人によってはいい指導もあったはず)してしまった今のバレーボール指導の悪しき要素というものが、変えねばならないものであるかということが見えてくると思います。

(2021年)