見出し画像

練習過程における「スモールステップ」を考える

何をもってスモールステップとするか?

 とにかく小中学生バレーでは、一つひとつのスキルアップのために、様々な練習方法やドリルが、日々研究、開発されています。日常の思考錯誤によってなされていたり、手作りの道具を開発して練習したりと様々です。

 しかし過去からの指導法には多くの財産もありますが、何か旧態依然というか、アップデートされていない内容もあるのではと思えるようなものもあります。 セッターのステップの足の入り、 セットの身体の軸、 静止からのスパイクの助走の細分化練習、 パスの形づくり、 スパイク動作の細分化練習、 姿勢や視線を意識したネットをくぐったレシーブ練習、 こういった練習方法のアプローチの多くは、「スモールステップ」が効果的とされて様々な方法として登場しています。

 それらの過程が、どの程度的確なのか、しっかり検証される必要があります。 ともすると、有名な指導者や強豪校の指導者の方法が、流布される傾向が強く、そのメニューの真意や核心がおさえられないままコピーされたり、またはその練習自体の効果の検証がないまま行うことがあるからです。 世界のバレーに対する、日本での議論も、ここ1年間で大きく様変わりしてきています。(一部の方々だけなのかもしれないが) テンポの概念を起点にして、 ファーストタッチの返球の在り方、 セッターの位置、 リベロのセットアップ、 こういいったものが、もっと「当たり前」化していくと、ひょっとしたら、底辺や下のカテゴリでの指導方法も、変わっていくはずなのだと思います。というか、そうしていきたいと思っています。 

スモールステップの中身を吟味していく

  話は「スモールステップ」の話に戻りますが、私は、近年疑問に感じつつあることが二つあります。
  ひとつは、今述べたように、従来の練習段階が、アップデートされているのかという問題です。Aパス強迫観念や、低い返球やトス軌道高度化論・・・こういったものが前提となっている以上、なかなか、指導過程が変わっていない現状があるのだと思います。
 もう一つは、スモールステップ神話と言うか、指導現場に置いては、スモールステップが指導力のバロメーターになっている側面があるということです。何か細かい説明ができればできるほど、指導技術があるような錯覚に陥っているのではないか。

  人間の運動の発達や習得過程は、そんな意図的な細分化ですべてが結びつくほど、簡単なものではないです。まだまだ謎の多い脳の複雑な処理のしくみがあって、なぜか、スキルアップがされていきます。そんなのが細分化で解明しきれるわけがないわけです。もっと「人間の運動」そのものにゆだねて、運動主体者の思考錯誤や運動の熟成時間を与えるなどで、習得するのを待つことが重要です。
  特に成長過程にある、小中学生には、すべてを矯正、すべてに助言をしてその通りになるわけではないはずです。個人差もありますし、口で言ってできる、細分化をつみかさねつなげれば、そうなるものでもないからです。
  例えば、スパイク一つにしても、 一歩、二歩・・・と練習して、ジャンプを練習し、スイングを練習しても、それらをつなげれば、また一つひとつができなくなります。だから今度はつなげた状態での練習が入ります。でもさらには、ここに実際のボールを使いだすと、空振りをしたり、タイミングが取れずヒットできなかったりするわけです。アウトになったり、ネットにかけますから、その先にまた時間をかけなければなりません。

スモールステップへの誤解と弊害

  練習の「効率」という意味ではなく、スモールステップし過ぎによって、できなくさせていることがあると思います。または、スモールステップによって、観るべき視点を消していることもあると思います。 スモールステップを否定しているのではありません。もちろん、初心者や観習得者にとっての、導入としては有効です。しかし、何でもかんでもスモールステップすればいいというものでもないような気がします。 スモールステップの最大の重要性は、指導者自身の分析の眼、指導方法構築の材料となる点だと思っています。

 動画は、その練習の効果に疑問を呈するためにのせたわけではありません。もしこのようなドリルをスモールステップだと定義して行うとするとき、これ以外の習得方法はないのでしょうか?私はこれ以外にも習得するプロセスはあると思いますし、時間のかけかたも違ってもいいと思います。
 「スモールステップ」の考え方で強調しておきたいのは、決して動作の細分化、運動箇所のパーツ分けで考えるのは危険性があるということです。
 あくまでもドリルや練習課題の「難易度」や「複雑性」における段階をスモールステップ化することが必要なことです。指の練習→腕の練習→上半身だけでの練習→立って練習・・・これでは膨大な練習時間がかかってしまう非効率性の問題と、練習過程前後の転移性というか習得性が必ずしもつながらないまま進んでしまう危険性があります。
 「スモールステップ」が単なる聞こえのいいトレンドにならないようにしたいものです。

(2012年)