親ガチャじゃなく「無理ゲー子供」~親がまともでもニートで芸人になる~

2019年に放送された春とヒコーキの密着ドキュメンタリー番組で、母親が「育て方まちがえたかな…」と言っているのも知らずに土岡が犬と遊んでいたのは既報の通り。

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正しく優しい両親に育てられた子供が、実家から離れた東京でわざわざ家賃を払わせるタイプのニートになる。

最近「親ガチャ」という言葉が話題だけど、この場合ぼくが親にとっての「無理ゲー子供」だと思う。
親が与えてくれた経験の何が、ぼくをそうしたのか振り返ってみよう。

幼稚園児のころ、「ドリフ大爆笑」や「Mr.ビーン」のビデオを母親が見せてくれた。
母がジュリーのファンで、ジュリーがよくドリフ大爆笑に出ていたのもあり、録画したビデオが家にあった。ベタに、ぼくもドリフがお笑いの目覚めだったかもしれない。
「Mr.ビーン」をアマプラで久々に観たが、幼稚園児には何がどうなってるから面白いのか分からないところもあったはず。それでも楽しめていたのは、母親が全部、シーンの意味を説明してくれていたから。

中3のとき、これは親ではなく姉だけど、姉が友達からラーメンズのDVDを借りてきて、ラーメンズ、その流れでバナナマンにハマった。
あと、同じく中3のとき、たまたま「働くおっさん劇場」の初回を見て大笑いし、それから毎週見ていた。これに関してはぼくが勝手にやっていたことなので、母親は「またこの変な番組見てる…」と言っていた。話はそれたけど、ラーメンズと「働くおっさん劇場」を同時に浴びたことが自分にとって何か大きい気がしたので書きました。

大学に進学し、落研に入った。
母親が落語が好きで(特に5代目圓楽の「中村仲三」が好きらしい)、ぼくは落研に入るまで落語はNHKで1回見たことある程度だったけど、知ってみたい文化だなと思って入部した。
落研に入ったのは母親の影響以外にも、ラーメンズが落研出身だからとか、お笑いが好きだけどお笑いサークルは「名前に“お笑い”って付いてる部活に堂々と入れる元気な人と仲良くなれるわけがない」と思ったから、という理由もある。

父親から受けた影響は、スター・ウォーズ。父親が学生時代に一作目を観てハマり、過去編三部作(1999~2005)は映画館で一緒に観た。スター・ウォーズきっかけで映画全般が好きになった。
ニートのとき、映画を観る時間が無限だったので「この映画は観ないといけないでしょ」みたいな作品がどんどん目に入り、年間5,60本を映画館で観ていた。それで友人2,3人に向けて、ライムスター宇多丸さんみたいに年間ランキングを発表するツイキャスをしていた。

ニートに、観ないといけない映画なんてない。

父親は、普段はサッカー・野球以外には特に娯楽を摂取する人ではないが、たまに何かにハマると結構がっつりだった。
「ダヴィンチ・コード」にハマったときは、休日に一気に小説を読み、当時テレビで「絵画に秘められた謎」系の特番が多かったが、それもよく見ていた。
そういう、これだと思ったらとことんハマりなさい、みたいな姿勢は父の背中から学んだ。そういうところがヒサモマサ症候群にも生きたのだと思う。

もし子供ができたら、一緒に『E.T.』を観たり、犬と触れ合わせたりしたいけど、何がきっかけでどんな方向に子供の興味が育っていくか分からない。でも、それを恐れて何も与えないんじゃなくて、どう育つか分からないけど、いろいろ投げかけてみたい。モグラ平八は、そう思います。

サポートは、上空から怪鳥が持っていかなければ、土岡に届きます。