それ、あなたの課題ですか?[心理療法・ACTのやり方] 早速コントロール戦略に飲み込まれたテパサンがレジリエンス発揮した話
さて親愛なる皆さん、今日もコントロール放棄してますか?(笑)
コントロールに白旗を上げようと決心して、とんでもない目に合いましたので、その記録を。脱フュージョンにまだ辿り着けなさそうですが、これはこれでなかなかディープな経験だったので読んで頂けたら嬉しいです。
初めて読んでくださる方は、
テパサンが心理療法・ACT(アクト)の実践レポ、記念すべき第1回の記事も是非ご覧くださいませ~。
一番「反応しちゃう」思考って、なんですか?
コントロール戦略ってね、
いつもいつの時でもやってくる。
どれもこれも
「人生そんなチャレンジすると大変だぞ!安全な今ココで現状維持が一番イイぞ!」
っていう、有難き生存本能、生命維持機能のおかげです。わたしのこと守ろうとしてくれてるんだわ。あぁありがたや(白目棒読み)。
それも念頭に置きながら、
習慣化されてしまった思考
「どうせ私なんてさ!」とか「そんなの私にはできない!」みたいなものを手放そうと、トライしていました。
ひとつひとつ
ACTでのテクニックを進めていくにあたり、
最初は楽しく、面白く進めていくことができているように感じていました。
ACTのテクニックって、沢山あるんです。
気になる思考の声を変えて~とか
心の中って意外と森みたい!とか
たくさんたくさん、素敵な発見もありました。
でもね、テパサン気づいてなかったんです。
”まだまだこんなのボスキャラじゃなかった” ってことに。
さて、ボスキャラはどこに潜んでいたのかというと。
テパサンにとってはものすごーーーく苦手な、できるだけ避けてきていたこと。ハイ、SNS。
今となっては起業家さんがSNS発信しないなんてありえない!そうですよね。そんな中、テパサンは基本的に「学ぶ人」の立場でいいわ~とのんきに構えていたので、年季だけ妙に入ってるお墓みたいに静かなアカウントを使っていました。
このアカウントを墓場にしちゃったのは誰でもない、テパサン自身です。
不可抗力という言い訳もできますが、これは言ってみたら色んな時代のテパサンを連れてきては埋め、また別のところから連れてきては埋めたようなもの。なんでってね、テパサン自身、個性に一貫性が全くなかったんです。
幼少期の引っ越しの多さが最初のきっかけなのかな。長い付き合いというのをしたことがなく、学校のクラブ活動なども全てNGとされていたテパサンは人づきあいの仕方が良くわかっていなかったせいか、所属する組織が変わるたびにキャラクターが違ってました。それも自分ではほとんど気づいてなかったし気にもなってなかった。
そんな訳で、それぞれの時代の様々な個性を備えたテパサンの、普段から頻繁に関わっていない友人たちが一種の「記念」のような形でつながって出来上がったもの。それがわたしの墓場アカウントなるものでした。
墓場アカウントでテパサンが守っていたもの
そんな墓場アカウントをキープしたまま、次々と新しい情報や人とのつながり、そして絶え間なく課題を頂く日々。勿論、自分から好きで始めたつながり、好きで始めた課題。
でもね。それに「応えよう」と思うと、気持ちとは裏腹にこんな風にどんどん思考が降っては積もり降っては積もりしていくわけ。
わたしが「OO好き」とか言おうもんなら、「え、そういう人だったっけ?」って思われるだろうか。
あの時のわたしはどんなんだったっけ?
あっちの時は何が好きなんだったっけ?
え、これでつじつま合ってる?
こうすると変な風に見えるのかも?
ああしたら、こうしたら、、どう思われるか、、、
ね。
無数の「大丈夫だろうか」
無数の「なんて思われるか」
無数の「また何か言われる」
数えきれない思考に頭ははち切れそうになって、間違いなくお手上げだったのに、自分でも気づかないようにしてた。
たった一つの記事に自分が「タグ付け」されるとか
たった一つの記事に「いいね」するとか
たった一つの出来事に「おめでとう」と伝えるとか
普段の生活で言うなら「右手を伸ばして自分のお水のボトルを取って、ああ美味しい、って言葉に出して言う」みたいな何でもないこと。
たったそれだけのことでも、SNS上でやるのか~と想像しただけで
わたしの右手の角度、おかしくない?あぁもう嫌~!
あ、爪も綺麗にしてない!でもネイル嫌い!こんなの嫌~!
お水がブランドものじゃない!なんでなの嫌~!
このTシャツ、首がヨレヨレかも… 見られたくない嫌~!!
美味しい、の言い方がわざとらしい!わたしキモい嫌~!!
また誰かが「こんなことしてるよ」って言いつけてくる!だからもう本当に嫌~!!
今こうやって文字にすると、「ヤレヤレあなた大丈夫デスカ…?」としか思わないけれど、何か隙間時間ができてはこういう思考が頭をもたげてくる。
ひとつひとつに恐怖を感じては身体は固まり、そのたび全身で拒否。
思うように体も動かず、口はカサカサに乾いてる。なのに、誰にも何も言われてないけど、「シャーッッ!!」と野良猫絶賛警戒中な、反射的に反抗できるような、常に反論できる戦闘態勢をばっちり整えていた。わたし闘うの?笑
しかもそんな状況の中、教科書に沿って「コントロールを手放そう」というなかなかのチャレンジをしてみちゃったんです。勇気あるな~、わたし。
自分の本当の状態に気づいていなかったからこそ、できたことでした。
次々湧いてくる思考に対して、こんな風にしていたの。
1. この思考は手放そう!さ、カオナシに変えて置いておこ。そこにいたっていいんだから。
2. あ~また!さ、カオナシカオナシ
3. うう。なんかな。カオナシまた増えたな
4. あれ?なんか近くなってきたな~カオナシ
5. あ… なんか… カオナシばっかいる… え、待って、こわ…
…チーン。
気が付いたら、ぬら~っとした表情のカオナシさんたちに囲まれていて。
みんな押してはこないけど、満員電車みたいにぎゅうぎゅうなの。そしてね、確かにそこに「いる」んですよ。
「世にも奇妙な物語」にあったっけかな、っていう感じのちょっとゾッとするやつ。目が合ったらヤバいやつー!
わたしのコントロール放棄があっという間に崩壊した瞬間でした。(笑)
駿さんに謝罪したいくらいです。勝手に増やして本当にごめんなさい。
こんな風に、あっという間にカオナシさんを量産してしまうほど、わたしの思考は「反応」しちゃってました。自分の一番見たくないところをほじくり返して、あの時はああだったこうだったと言い訳して。言い訳に気づいているのに、どうしてもそこから抜け出せない。
だってね、そこには大きな正義が横たわっていたの。
わたしは「正義」を守っていたんです。
いつだってわたしは人生の中で「これが最良の判断」と思ってやってきていたはずだから。ベストな選択の積み重ねが、結果「つじつまが合わない」なんて、受け入れられなかったんです。
だってどう考えても「わたしが正しい」はずだったから。
誰よりも他人の都合に振り回されて、それでも周囲に対して誠実に対応して、誰かの秘密を死ぬまで守り、また誰かの力になるように自分の未来を捨てた。自分よりも周囲を優先させて生きてきた。急に変わったわたしについて細かく説明していけば、誰だって唸るしかなくなる。そうやって、常に自分より周囲を生かす道を歩んできたのだから。
自分が最良だと思って選択してきたはずの道のりに、テパサンの足は絡め取られ、もはや自分のペースで足を動かすことすらできなくなっていた。もう何年も何年も重た~いフタを乗せ、お札を貼り付けて、拘束の呪術みたいなので縛り付けておいたんです。
中に入ってた何かは、10年ほどの年月とともに熟成し、発酵し、ドロドロと形を変えて、何とも言えぬ匂いを放ち…そりゃもう異臭騒ぎ起こすくらいの強烈な存在感を既に出し始めていた。それをひとつずつとりあげてカオナシさんにして並べてみたら、ゾッとする数の、それはそれは恐ろしい光景が・・・
これがついこの間の出来事。
テパサンの心はそのまま奈落の底へ落ちてゆきました。(笑)
奈落の底から這いあがるためのステップとは。
奈落の底で小さく見えるお空を見上げてはため息をつき、とっかかりもない壁に絶望を感じながら「わたしにはできない」が脳内を埋め尽くしてから数日。
有難いことに、課題や苦難と同時に「応援してくれる人たち」を得ていたので、戻るためのチャンスだけは得ることができました。ただただ「奈落の底まで落ちました」と話すだけで、力を貸してくれる人たちがいてくれた。
なんのとっかかりもない壁にロープを下ろし、「自分で上がれる、待ってるから上がっておいで」と勇気をもらえた。そのおかげで「書き出す」ということにもう一度目を向けることができたのです。
ここからのステップは至ってシンプル。
書き出すの。
こんな風にしなきゃいけなくてしんどかったなぁ
あんな風に言われるような気がして嫌だったなぁ
どんなタイプの文句でも恨み言でも、何でもいいから書くんです。
メモ帳アプリのメモ1枚を、ずらずらずらずらと、恨み言でいっぱいにした。
出して出して出していったら、
じゃぁどうだったら良かったんだろ?
どんな風にできたら、この足かせを取ることができるんだろ?
今度は「これが嫌」の向こう側へ回り、初めて「これがイイ」に考えを巡らせることができるようになっていきました。
やっと、垂らしてもらったロープを手繰りながら、汗をかきながら、それでも光を追って空を目指していくことができました。
とてもしんどかったけど、今を逃したらもう一生上がれない、と思った瞬間でした。
課題の振り分け、という概念に出会う。
この時、ちょうどタイミング良く教わったことがあったの。
「それ、あなたの課題ですか?」って、聞いてみる。ってやつ。
ちなみにこれは、ACTで紹介されているのとは別モノですので、ご了承ください。だけどこれがテパサンにはてきめんに効果を発揮したのでした。
まず、抱えるものに対して、正しい主語・その持ち主を振ってあげることから始まる。例えば、わたしで言う所の、無数の「大丈夫だろうか」について。
●【わたしが】大丈夫と感じるか?は、わたしが感じるように行動すれば良いだけ。大丈夫と思える場所、モノ、ちゃんと理解してきている。大丈夫。
●【誰かが】大丈夫と感じるか?については、わたしが頑張っても考えてもどうにもできないことで、わたしが最終的に責任を負えるものではない。それはその主語に当たる方々にお任せするしかない。
こうやって冷静に振り分けてみると、なんと【わたしが】の数の少ないことか!そして、自分にできることなんて、そんなに沢山ないんです。
テパサンにできるのは、
目の前にあるもの・人に対して誠実であること。
愛をもって接すること。
そして何より、自分に対して失礼のないよう、自分に誠実な行動を選んでいくこと。
そこを感じられた時に、初めて奈落の底から身体全体がスッポリ出てきたような気がしました。
そこからは、ただただ自分にとって必要なことを片っ端からやっていくだけ。ひとつずつ、気持ちを持って、誠実に。自分と相談しながらね。
こんな風に進むことができたのは、外から応援してくれる人や、わたしがSOSを出すことができて、それに気づいてくれる人がいたから。それがなかったら、今頃まだずーっと暗い底にいてグスングスンいじけてたか、知らんぷりして臭いモノには更に強固なフタをしていたか!相当な黒魔術でも必要になりそうですがね。。
テパサンと一緒に体験してもらえましたか?
今回の一件、一緒にゾッ…として頂けましたか?笑
起きた事の全体像を把握するまでに、後から思い起こしながら、綴ったものを読み返しながらつなげていく作業が必要で、少し時間がかかりました。
リアルタイムではいっぱいいっぱいすぎて、気づけないことばかり。
何かを読んだり、書いたり、吐き出したり、話したり。
こういうことを上手にコンビネーションさせていかないと、強く心に残るような「激情を引き起こす思考」や「ストーカーのように付きまとう思考」をそのままにやり過ごしていくことはなかなか至難の業です。
だからこそ、一緒にやっていこうよと、思うわけです。
本の通りにはうまくいかない。
綺麗ごとだけでは片付かない。
予定調和的な結果が出る時は、仕向けてるだけ。
1回ワークやっただけで変わるなんて、なかなかない。
本当の自分を見るって、相当な勇気がいることだからね。
だけどね、安心で安全なところにまずは身を置いておけば、いくらでもチャレンジしては転ぶことができます。わたしもそうやって転んだり落ちたり、笑ったり嘆いたりしながら日々を過ごしています。
あなたにもそうできる環境があったらいいな~と思って、このnoteを書いています。
◇◇◇
人それぞれに感じ方が違うのは当然だと思うので、もし何かアドバイスや体験談などのお話を聴かせて頂ける方は是非コメントくださいませ!一緒に体験していけたら嬉しいです。
スキもほしいほしい♡ フォローもしてほしいほしい!
ジャンル関係なく読みますし、わたしはnoteが大好きです。
沢山の方と交流できたら嬉しいなと思っています。
何より、これを読んでくださった方が少しでも楽しんでくれたらハッピーです。
さ、今日もややこしくいきましょうかね。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。 頂いたサポートは、また別の方をサポートするのに使わせて頂きますね♡ サポートの輪っかをぐるっと作りましょう^^