おまえの責ねーから!!!

はじめに

はじめましてのひとは初めまして。手負いといいます。タイトルと内容には何の関係もありません。
皆さんは責任の所在について考えた事はありますか?例えば、スキャンダルがあったとします。有名人のスキャンダルはイメージ低下やスポンサーが軒並み手を引くような大事件です。人気商売なので仕方ないですね。そのスキャンダルを起こした当人に責任があるのか管理していた事務所に責任があるのか、など責任の置きどころはいろいろあります。みたいな話が責任の所在のお話です。例が大きすぎてわかりづらいかもしれませんが、責任の所在があやふやな事は身近にもよくあると思います。
蛙化現象なんて言葉が取り沙汰されることも増えましたね。個人的にこの言葉はかなり嫌いです。自分の中の心境の変化(別に意図してでなくとも)によって冷めてしまっただけなのに現象と言い自分の外で起こった事のように処理し話している言葉だという事に気付いていれば、責任の所在が外側にある事がわかります。虫が良すぎないか????
お前の事をお前の言葉でお前自身の責任で殴って来い!!!!!
世の中には無責任ワードが蔓延っています。皆さんも見かけたら即刻握りつぶすようにしましょう。
以下考え事日記です。

哲学を食む

少し前、気を病んで人と喋れない期間があった。一人で一日家にこもるとなると実は結構暇だったりする。3連休だ!ゆっくり家で休むぞ~!と言い、いざだらだらすると昼過ぎからもうすることないな、、となってしまうアレだ。暇になってしまったとはいえ、時間を無駄にするのはよくない。なので中学生くらいの頃買って積んだ哲学用語辞典を読み始めた。本当にかみ砕かれて書かれておりわかりやすい本ですらすらと頭に入って来た。
僕が殊に好きだったのはソクラテスだった。中世の後半以降の哲学者の思想は王政・宗教との結びつきなどが節々からうかがえて、生き方というよりも効率の良い支配の仕方にシフトしていったように見えてあまり興味がわかなかった。勿論面白かったけどね!
僕のソクラテスへの好意的ポイントはどこにあるかというと、彼の一貫した言動にある。彼の無知の知という言葉は有名だ。この言葉の説明を軽くすると、彼は彼自身が正義や善など正しさの説明ができないのにも関わらず賢いと他人から称される事に疑問を抱き、その無知に気付ける事こそが賢さのメタ的な前進だと言ったわけだ。そして、その思慮深さを用いて道徳の重要さを説き、富や名声に目のくらんでいる政治家に最も大切な魂の配慮を怠る事の無いように呼び掛けた。が、最期は国政に携わる政治家たちを惑わせたと裁判にかけられてしまう。彼を慕う人々は国外脱出を勧めるが、悪法も法だと言い毒ニンジンの盃をあおって死んでしまう。といった人だ。なんて一貫した人で神がかっているんだ、!と感動してしまう。
そこで考えてみてほしい。ほんとにそんな聖人な事ある?
いや、百歩譲って最期の話とか、物事の考え方を伝えたりとかは本当だと思う。けど、そんな愚かな民のために私生活を犠牲に奔走しました!みたいな感じに見えるように語られてるのは絶対嘘だと思う。絶対教えの時間だよとか言いながら3人は抱いてる。特に昔の人の話はそう言った浮ついた話が残りにくい。そりゃ思考法とかのほうが大事だし、残す側の人たちはその人を神のように崇拝してたに違いないし、必要のない文献は途中で処分されていくに違いない。今を生きる我々はそういった偉大な先人の人生をかけて考え抜いたお話の要点を何の苦労もなく享受できる特権を生まれながらにして獲得しているが、偉大な先人の人間の部分がなくなってしまってはどこか味気なく思えてしまうのも考え物だなぁと思う。

ことばの消費期限

僕はあまりコミュニケーションツールとしてのLineが好きじゃない。
昨今の社会で生きていく上で携帯電話は必要不可欠だ。携帯電話の進化はめざましく、携帯でできないことの方が少なくなっていく。そんな携帯の便利なアプリケーションであるLineは仕事プライベート問わずほぼすべてのスマートフォンユーザーが利用しているはずだ。無料で友達に追加すれば電話もチャットもできる。なんてすばらしいんだ。
しかし、このツールには決定的な弱点がある。それは語感の温度が伝わらない事だ。個人チャットをしていると、ある程度仲の良い友達との会話であればその相手ならこんな風に言うよね、と勝手に補完されていくので不自然に思うこともない。が、普通に対面だと楽しく喋れる。けどそこまで頻繁に会うこともない人だとどうだろうか。多分かなり気まずいと思う。
それは語感の温度が伝わっていないからだと思う。おじさんやおばさんが使う文章の特徴をおじおば構文とか言うけど、その温度感の補完を頑張って試みて、それが空回り、若者に馬鹿にされてしまっているのだ。なんて悲しい事件だ。
あと、Z世代的にはあるあるの恋のお話だけど、Lineで告白とかしたことある?多分一定数いると思う。僕の友達はLineで告白してかなりキモい事言ってた。まず、告白に始まる自分の秘めた想いを伝える言葉はかなり鮮度が命だと思っている。鮮度ってどういうこと?っていうと、直接会って口で好きです!って言うのと文字にして情報として送るのでは相手に伝わって咀嚼するまでの時間が大違いだ。その時間の差で言葉の鮮度が落ち、しまいには腐ってしまう。だから文字の告白ってクサいんだ!!と気づいた。
そこで文字の別の言い回しである活字という言葉をふと思い出した。偉大な先人はこういった文字の鮮度を見抜き、文章は足がはやい繊細なものだという事を念頭に入れ活字と名付けたのでは!?と気づいた瞬間に興奮して失禁した。

結び

いっぱい言いたいことをまくしたててしまった。推敲を殆どしていないので読みづらいとかがあったら申し訳ない。見てくれた物好きの人たちの気づきの手助けになれば幸いやんね🫶
本当に書きたかった内容が実は別にあったけど一つ目の哲学の話書いてたら全部忘れた。また思い出したら書く。
またね。

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