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私という男 #6新潟アルビレックスBB時代

2016-1017 新潟アルビレックスBB入団

私が新潟アルビレックスBBに移籍するこの年、それまでJBL、bjリーグとプロリーグが混在していたバスケットボール史に終止符が打たれ、

「B.LEAGUE」

という新しい時代が幕を開けた。


当時、私は熊本ヴォルターズにずっと残りたいと考えていたが、熊本地震の影響で会社として運営するのが難しくなるだろうという話を聞いていた。

その為、私はやむを得ず移籍するチームを探していたのである。

そんな中、当時、新潟のアシスタントコーチであった堀田ACから1本の電話が入る。

「新潟に来てくれないか?」

オファーの電話であった。

それからすぐ契約交渉のため、私は新潟に向かった。

アオーレ長岡を目にしたのもこの時が初めてである。

「長岡駅から雨に一滴も濡れずに体育館に行けるんだよ」

当時、社長であった小菅代表が嬉しそうに私にそう話していた。

小菅代表に会ったのはその時が初めてだと思っていたが、私はどこか見覚えのある顔だなとも思っていた。

すると話していくうちに私が大学や三菱電機時代にプレーしていた時の試合で小菅代表は審判として吹いていたのである。

私もその時の記憶が蘇り、それまで緊張していたのがスッと溶けたのを覚えている。

それから2時間ぐらいだっと思う、たくさんの話をさせてもらった。

新潟のこれからのビジョン、そして私に来て欲しい理由、それらの物凄い熱量に私は感化され、その場で「行きます」と握手を交わしたのである。


そうして熊本から新潟と距離にして1200km離れた場所に私は妻を連れ、長岡の地に舞い降りた。

これが私の新潟アルビレックスBB時代の幕開けである。


圭さんは何年経っても圭さんだった

私がチームと合流した頃には、既にチームはシーズン開幕に向けて始動していた。

私は少し出遅れたと思っていたが、当時、同じタイミングで圭さん(五十嵐圭)も移籍してきたのだが、彼はまだ合流していなかった。

「やっぱ大物は違うな」

当初の私はそう思った。

それから少し遅れてきた圭さんはNIKEのウェアにNIKEのカバンと全身NIKEで揃え、3年ぶりだというのに相変わらず爽やかでむしろ若返ったんじゃないかと思わされる程、キラキラしていた。

「やっぱ大物は違うな」

そんな彼に私はまたそこで、同じ事を思ったのである。

もちろんいい意味で。


新潟の選手はみんな真面目

私が移籍してきた当初、元々新潟にいた選手たちの真面目さに驚いていた。

佐藤公威
池田唯一
佐藤優樹
本間遼太郎
八幡圭祐

練習前のシューティングはもちろん、練習後には必ずワークアウトをする彼ら。

それが新潟魂だとでも言っているかのように、ひたむきに自主練に打ち込んでいたのである。

私はそんなみんなの「上手くなりたい」という情熱に沢山の刺激をもらっていた。

それぐらい素晴らしい志を持った選手たちと私は出会えたのである。


朝の始まりは雪掻きから

冬になると長岡は雪一色に変わる。

1年目の雪は「膝上まで雪が積もる」という経験など人生でしたことがなかったから妻と大はしゃぎしたのを覚えている。

雪だるまを作ったり。

雪で寝転んだり。

まるで子供のように雪と戯れた。

しかし2年目になると、そのウキウキはもう無くなり私たち夫婦は雪を見ても真顔で生活するようになった。

理由は、まず外に出ようとしても雪のせいで簡単には出させてくれないから。

そして外に出れたとしても道がない故、朝起きたらまずはスコップを取り出し、道を作ることから始まるのである。

そして極め付けは除雪車の雪である。
家が道に面していた為、除雪された雪は家の前で壁として立ちはだかる。

それをスコップで、車が出れるだけの壁を取り除いていく必要があり、この作業がまた骨が折れる。

それを妻と2人で崩すのが冬の日課であった。

そこで私と妻は実感したのである。

「雪は少し積もる方がちょうどいい」


日は浅いが思い出は深く

新潟時代はまだ子供も生まれていなかった為、オフの日はよく妻と色んな所に出掛けた。

春になったら桜を見に高田公園へ。
夏になったら花火を見に大手大橋へ。
秋になったら紅葉を見に弥彦神社へ。
冬は家の中から雪を眺めていた。

故に今でも妻とよく話す。

「2年間しか居なかったけど思い出は沢山できたね。」

そう思い返しながら、今でもよく2人で新潟を恋しむのである。


バス移動時間の記録更新

今までのチームも含め遠征に行く手段としてバスで移動する機会も少なくない。

新潟もその一つである。
そんな新潟は北海道や沖縄を除いて移動は全てバスであった。

私の記憶では熊本時代に8時間という記録が今までで最長だったのを覚えているが、新潟でその記録は更新されることになる。

おそらく今までのバスケ人生、そしてこれからのバスケ人生においても、この記録が破られることはないと断言できる。

それは新潟から島根という道のり。

私たちは実に13時間かけて移動したのである。

土日の試合に向けていつもは前日の金曜日に移動するところを、木曜日の夜22:00に私たちは長岡を出発した。
そして島根に着いたのは金曜日のお昼頃。

木曜の夜、集合場所にはエアー枕を首に巻いたまま現れる人いるなど、各々がこの長距離移動に工夫を凝らしていた。

中にはアイマスクを持ってきたり、圭さんに至っては敷布団?みたいなものを持参してきた。

座席を最後まで倒して寝る人から、補助席を出して座席と座席を跨いで寝る人もいた。

私に限ってはバスの通路に簡易マットレスを敷いて寝ていたので、仰向けに寝る私のすぐ上に補助席を出して足を伸ばす人と十字に交差していた。

この経験があるからこそ、バス移動での私は何の苦も感じなくなった。


会場を埋め尽くした熱気

B.LEAGUEの誕生と共に、開幕したこのシーズン。
我々、新潟の開幕戦も物凄い熱気と緊張が会場を覆っていた。

両日ともに約5000人という立ち見が出るほどに会場を埋め尽くしたアオーレ長岡。

国家斉唱では青山テルマさんの歌声が静寂とした会場に響き渡る。

選手入場時には鳥肌が止まらなかったのを今でも覚えている。

ドリブルの音やバッシュが擦れる音、間近にいる選手の声すら聞こえない程の会場の声援に気持ちよりも先に身体が震える、そんな経験を人生で初めてしたのは、ここ、アオーレ長岡であった。


城宝匡史、入団

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