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骨董談義

骨董が好きです。

ゾウさんもキリンさんも好きですが、骨董が好きです。

もともと6年ほど前に骨董市に何の気無しに参加したのがきっかけで、そこで安土桃山時代の欠けた古唐津の皿を手に入れたことから私の骨董ライフが始まった。

骨董といえば、全く興味の無い方からすれば、怪しい、ボッタクリ、おじいさんの暇つぶし、など少しnegativeな印象を持ちがちなのではと思います。私も当初は安土桃山の皿と聞いて、本当かな?と思いつつも、まあまあと、ものの試しにと思って買ってしまったのが沼の始まりでした。家に帰って、ほうれん草をのせてみたところ....

おおおお....ほうれん草が実に愛らしい。

ほうれん草ってこんなに美しかったのか。

もしかしたら私も割烹や小料理屋できるんじゃないか....

と、新しい感情が芽生えました。

結果的に唐津の皿から始まって、中国、朝鮮のルーツまで掘っていく事になってしまいました。あまり高価なものは買いませんでしたが、だんだん枯れの美学が分かってきて、ちょっと形が崩れていたり、直している部分が愛おしくなってきました。ちょっと小汚いラーメン屋のラーメンが美味かったりする、あれです。うどん屋で出している中華そばが美味しかったりする、あれです。(?)

骨董好きの最終段階は、ジャンルにもよると思いますが、そこらに落ちている木や石を愛でるようになって集めてくるようです。おそらく森羅万象への愛なんだと思っています。骨董とはおじいさんの暇つぶしでは無く、森羅万象への愛なのです。

最近は私もお寺に積んである石の経年変化と経年劣化が良いと感じるようになり、若干石を拾いそうになる自分を危惧しています。好みの石に苔なんかついてたらそれはもうたまらん。brutusで好みの石特集してほしい。

物の価値を再定義した坂田和寛さんのお店には一度伺ってみたいです。物の価値はある種お金でしか比較しようがないのだけれど、果たしてそうなのか?というところがあります。「美味しい」とか「綺麗」の尺度はどういった人間の価値観に影響されるのでしょうか?実は対極なものと紙一重なところがあると考えていて、それは非常に繊細で壊れやすく、相対的なものなのではないかと思います。

と言う訳で、今日の夜は古染付にお刺身にみょうがを添えてレモンを絞って晩酌です。


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