犬のように吠える
夜中に散歩をするのが好きだ。特に秋の終わり、冬の始まりの頃だ。
風は乾燥して、枯れた葉の香りやそれが風に舞う音が聞こえる。
カサカサ、カサカサ、と耳をくすぐる。
枯れ葉は時折額に落ちて、さらに地面へ落ちていく。
夜は仄明るくて、少し青白い。
そんな夜、まだ電気のついているカーテンごしの部屋を眺めて歩くのが好きだ。
深夜の散歩なんて奇特なことをしている自分と夜更かしをしている彼らを同調させて、なんとなく慰められる。
こんな時間でも起きている人間がいるのだ。そう思うと、孤独感から解放された。
カーテンの向こうに隠された彼らと、時間を共有している。
彼らが何をしているのか想像もつかないが、それぞれが何かをしているのだろう。
それがなんだってかまわない。
彼らと同じ時間を過ごすことが重要なのだ。
冷たい風が心地よい。もう少ししたら、吐息が白くなるだろう。
誰一人として歩いてはいない。僕を除いては。
しんとしていて、様々な家族や個人が集まって住んでいるとは思えないほど静かだった。車もほとんど通っていない。
昼間は騒々しい道路が、こんなに静まりかえるとは奇妙なことだった。
昼間活動する人間が多いのだから、夜は寝ているに決まっている。
だけど、昼間活動していても夜更かしをする人間もいるし、夜活動して昼間寝る人間もいるだろう。
誰がどんな生活をしていてもいい、繰り返しになるけれど、時間を共有しているのが大切なのだ。
世界で一人きりでない時間。
真夜中に一人散歩をする時、僕は時間を共有する。
それを感じる。
なんだか心地よくて、安心して、明かりの点いた窓を眺めて歩く。明るい窓の住人は、僕と同じく活動している。
昼間にこんな感覚は味わえない。夜特有の感覚だ。
空を見上げると、満月だった。通りで明るいはずだった。それでも今は真夜中だ。
もし僕が狼なら、いや犬でもいい、もしそうなら、満月に向かって吠えているだろうか。
満月に向かって犬が吠えるというのは伝承なのか。たんなる迷信か、噂なのか。
でも、満月をバックに遠吠えをする犬はとても絵になる。
狼なら尚更だろう。
だけど、僕は犬を選ぶ。
犬は人間にとても似ていると思う。多種多様で、個性豊かだ。
狼が没個性的だと思っているわけではない。ただ、狼は孤高のイメージがあって、なんとなく群れて過ごす犬や人間とは違うと思うだけだ。
そんな僕の勝手なイメージのおかげで、犬は満月のたびに遠吠えをする。
僕のような真夜中の散歩者に向いている妄想かもしれない。
僕は吠えないけれど、僕の中の犬の部分は吠えるだろう。
その鳴き声はどんな風だろう。
雄々しいのか。
猛々しいのか。
凜々しいのか。
様々な想像が膨らむ。
犬の遠吠え。聞いてみたいと思う。
こんな都会の真ん中では無理だろう。第一、マンションばかりの住宅街では室内飼いの小型犬ばかりで、僕がイメージするような――大型犬が黒いシルエットでのけぞって遠吠えをする――犬が存在しない。
多分、そうだ。
室内で大型犬を狩っている人間だっているだろう。
だけど、室内で遠吠えをしても、雰囲気に欠ける。それじゃあ単なる近所迷惑で、僕が想像する崇高なイメージとは異なる。
都会の真ん中で、犬の遠吠え。
案外難しいことなのかもしれない。
おんおーん
口の中で呟いてみる。
犬の遠吠えのように。
本物の遠吠えとは程遠い出来だが、まあいいだろう。
皆、一緒に吠えてみないか?
明るい窓に語りかけてみる。
満月の夜、皆で一斉に吠える。
そんなことがあってもいいかもしれない。
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