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八月納涼歌舞伎『狐花』の小説版を楽しんでみた

NHKの番組『百鬼夜行』に出ている京極夏彦さんの姿しか知らなかったので、小説を拝読。なかなか、おもしろかった。

驚いたことに小説なのに地の文がちゃんとあるのは数箇所だけで、状況説明も誰かの語りとして会話の中で進んでいく。独特だ。「 」の中の言い回しや言葉のテンポが美しい。中でも、舞台では深掘りされていない近江屋と辰巳屋の娘ふたりの開き直り→そして、破滅のくだりが特におもしろかった。一方、ラストシーンは舞台の方がインパクトがあったし、ガクンってなるところも、比較的、サラッと書かれていた。

舞台のトップシーンになっている信田家の惨劇は小説にはなく「あのこと」という隠語で繰り返し会話に登場する。舞台台本を書くあたり、生々しさを和らげるだけでなく、こうした大小の工夫があったのだろう。ネタバレせずに説明するのは難しいけど、萩の介の行動にだって、それ相当なものが……。

※日本人には天井が怖い。西洋なら、壁だね

あの行動は、心が傷ついての結果であって当然。生々しさは説得力に繋がるのでは?

それから、歌舞伎座から帰って暫くしてから「これは勘九郎丈が主役で、上月が改心する話」だったんだと思い直したが、小説を読んで、やはりそうであったかという感じもした。

京極夏彦さんの小説『狐花』では、萩の介と中禅寺が対峙する鳥居前を、鳥居に繋がる道が「布に引かれた一本の黒い筋」に見える曼珠沙華の原としていて、舞台では直線的なセットでこれを表現していた。他の場面でもセットが直線的で、ペタっとして感じる。前月の、奇想天外な澤瀉屋との差を感じた。

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