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愉快な日々を過ごすには

どうでもいいことを考えるくせがある。

きのうも愉快に過ごすにはどうしたら良いか考えていた。

この3ヶ月行動記録を付けておりそこから楽しかったことを引用すると、

外出して歩く(1時間から3時間くらい)、映画を見る、友人と雑談する、絵をかく、ポエムをかく、作文する、カードゲームをする、カラオケへ行く、ノートに考えをまとめる、Youtubeで文具の紹介動画を見る、サブスクで音楽を聞く(ヨルシカ、きのこ帝国、RADWIMPS、藤井風など)、友人と通話する、美術館へ行く、小説を読むなどだった。

自分が楽しいと思うことと、他者から楽しそうと見えることには差があり、共感を得られない場合「それ、意味あるの?」と問われる可能性がある。その場合、楽しいから、収入になる、実利がある、形になっている、という理由付けができると趣味の強度が上がるかと思う。

楽しいからは強力であり、結果が出なくても過程が楽しいのならば後悔もしないだろう。

ここまで書いたけれど、上記の趣味は体裁のようなもので、家で眠っていたいというのが本音である。けれどそれで後悔しないかというと自信もないので、なるべく活動するようにしている。やる気がなくても行動すればやる気があるように見える。感情が伴わなくても淡々と実行していくのはよいと思っている。

2年くらい前に気づいたけれど、誰かが日常をゆたかにしてくれるわけでもない。楽しみに対して加点可能な(試行錯誤ができる)現状に感謝を忘れないようにしたい。

利用者K・S

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