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花ちゃんがなくなった

2年5ヶ月、人間でいうと94歳で、うちの花ちゃんが亡くなった。

二年半まえ、娘がどうしてもほしかったハムスターを家族3人で買いに行った。それから毎日餌をやり、水を換え、たまにケージを掃除してやり、娘は本当によく花ちゃんを可愛がっていた。

ちんまりとした花ちゃんは世話の甲斐あってか、むくむくとぽっちゃり気味に成長し、回し車をよく爆走しては夜中のリビングにカタカタカタ、と鳴り響かしていた。生きてるぜ、元気にやってるぜ、という合図だった。

娘の友達が自宅にやってくると、かわるがわる手のひらにのせたり撫でたりとかわいがっていた。夜になると疲れたかな、ストレスだったかなと心配そうに花ちゃんを眺めていた。

ある時は目やにが増え、片目が塞がるほどになってしまったが、動物病院に連れて行き、夫が毎晩目薬をさしてやり、無事完治した。

一年ほどまえからほっぺのよこに腫瘍ができはじめ、日に日にかさぶたが大きくなり花ちゃんの視界を遮るようになった。それでも花ちゃんは元気にはねまわり、よく食べよく飲んだ。

 2年3ヶ月ほどのころ、あまりにかさぶたが大きいので動物病院に連れて行った。かさぶたは先生によりハサミでポキっと小さくしてもらえたが、その下の皮膚はおおきく腫れ上がっていて、これは麻酔をして切除しないといけないねと言われた。娘と相談し、迷わず手術をお願いしたが、麻酔がききすぎて花ちゃんがなかなか目覚めなかった。ドライヤーで温めたり酸素を送ったりした結果、目を覚ますのを見届けて、娘は半泣きでもう麻酔はしないと言った。

それから2ヶ月。GWに入り、1泊で家族旅行に出かけた。帰宅した娘がお母さん!と叫び声を上げた。花ちゃんはおがくずの真ん中で横たわり固くなっていた。

3人でかわるがわる花ちゃんをなでると、紙皿におがくずを詰め、保冷剤を添えて花ちゃんを寝かせた。気持ちがどうにも落ち着かない。娘が肩を震わす。夫とかわるがわる「2歳5ヶ月、本当に長生きだった」「よくお世話したね」「出かける前にケージ掃除してあげていて良かったね」など声をかける。

家に飾っていたカーネーションの生花とキャンドルをそばに置いて、お葬式のようなことをした。手を合わせて目を閉じると、夜中眠れずにリビングのソファに横になっている時、いつもカタカタと回し車を回していた花ちゃんを思い出す。心細い中であの音に慰められていたことを知る。

やっと娘が声を上げて泣いた。その夜、長い長いお手紙を一生懸命書いていた。

翌日は平日だったが、娘は登校を遅らせて家族でエコクリーンセンターに火葬をしてもらいに行った。道中、なんとなく「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」を流す。

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ

いつも何度でも/木村弓

そんな歌詞に気持ちが動かされる。こういう時、音楽や詩はやっぱりすごい。

火葬場では作業服を着たおじさんがいた。紙皿に花ちゃん、おがくず、パンジーの花、レタスが添えられ、娘の書いた手紙を持っていく。看板に大きく「火葬場ではペットのみの火葬となります。その他のものは焼けません」とあり、娘がおずおずと差し出すと、おじさんは「一緒には焼けないけれど預かりますよ」と言ってくれた。

それぞれ学校や職場に向かい、帰宅して夕方娘と骨壷の代わりになるものを買いに行った。小さな平たいアルミの缶と写真フレームを買った。今朝は夫が骨を受け取りにいってくれた。送られてきた写真では、花ちゃんは背中をまるめた姿のまま綺麗に骨になっていた。

娘がほしがったからとか、教育にも良さそうだとか、始まりはいろんな理由はあったけど、一緒に生活している間に、かわいい、や、たのしい、の気持ちがそこに存在していて、失って気づく。言葉に言い表せないそうしたものが、日々あることを花ちゃんがこれからも思い出させてくれるのだろう。

(花ちゃんが家に来たばかりの日のnote)

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