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運命の赤い糸をぶん回した

倫理の授業で「恋人に対してこういう“ところ”が好き!って言えるのはまだまだですよ。」と言われて驚いた。なぜなら、私はいつだって私のことが好きな理由を言語化してほしいと思うからだ。「顔のこういうところが可愛いと思う。」とか仕草とか、そういう細かいところを好きでいてくれて初めて他の人じゃなくて自分と付き合ってくれていることの意義が見出せる。私はやはりめんどくさい人間なんだろうと思うが、やっぱり「全部好きだよ」なんて言語化を怠っただけの言葉は響かないし、そもそも相手の心を動かす好きな理由すら挙げられないのに何億人の中から一人を選んで付き合う理由なんてないと思う。だから私からするとほとんどのカップルはただ惰性で付き合ってるとしか思えないし、そんな人たちが無条件に相手を愛す、真の愛(!?)を築けているとも思えない。きっと私は捻くれすぎてしまったんだと思う。

運命の赤い糸が可視化されていたら楽なのになととても思う。人は本当に多種多様なため、その中から一人になんて到底選べない、し、選ぶとかでもないだろうし、結局縁みたいなところもあると思う。だから見えない運命の赤い糸をぶん回してみようと思う。いつか見えるようになりそうだから。


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