「ごちそうさま」のその後に

ごちそうさまでした。僕はペンを執る。

ここ二日について、つらつらと書こうと思った。忙しくなる前のnoteで同窓会のようなでかいイベントがあると書いて、あの後実際にフルで参加してきた。久しぶりに会えた人がたくさんいた。僕の心を揺るがせる再会もあったし、ちょっとした下ごしらえも不器用なりにうまくいった。
満腹になった僕が言うべきことは、「ごちそうさま」しかない。
本当は忙しさにかまけてご飯もまともに食べなかったんだけれど、感覚的な満腹が腹の中にある。確かにあるのだ。僕は出されたものを食べきって、箸を置いた。やはり箸は震えたし、ぎこちない下手な食べ方だったけれど、それでも完食した。そして満たされた。
ごちそうさまでした、といった内容を関係各所に伝える作業も終え、卓を囲んだ人々の顔をもう一度思い浮かべる。何も変わってなんかいなかった。いや、変わったものは確かにある。僕らの同期や後輩を取り巻く環境は別の場所へと向かっていっている。随分と顔色が悪い人も少なくない。煙草を始めていた人もいたし、かつて創作を共にした仲間の中には「もう書けないな」と呟く人もいた。
けれど、変わらないものが手元に残った。忘れられない思い出をくれた人々が、あの頃と変わらない姿で目の前に在った。本当に何も変わってなくて一瞬止まってしまった思考の感覚を、今でも鮮明に思い出せる。
僕らは変わっていくのだろう。環境も、身体も、年齢も、関係も。でもなんだかいまは、「その人を定義づけるもの」の一面は変わらず、それに時折でも触れられていれば、「変わらないもの」はあるんじゃないか、と感じている。全ては不可逆性だし、変わっていかないものはない。諸行無常、栄枯盛衰。そう思っていた。けれど「変わらないものはある」と信じたくなっている。
3杯飲んだモスコミュールのせいかもしれない。手元に残ったものが、ちゃんと実体を持っていると思い込みたいだけかもしれない。酔いが醒めれば、また喪ったとうなだれるかもしれない。
けれど、確かに僕はこの二日間を終え、「変わらないもの」のために『書きたい』、『書き続けたい』と思った。書いて遊びたい。理由を作りたい。意味を見出したい。そう思う。
自分でも何だかよくわからないし、ちゃんと言語化もできていないけれど、『書きたい』という気持ちが手の中にある。だから、僕は「ごちそうさま」を言ってペンを執った。いや実際にはそう思いこのnoteを立ち上げているのだけれど。概念的なペンを執ろうと思ったのだ。
何を書くかは大まかにしか決めていない。展望もあんまりないし、もっともっとインプットをしなければならない。
でも僕はどうやらペンを持たなければならない運命にあるらしい。書いて、書いて、書いて、その先に何もなくても知ったことかといまは思う。手元には変わらないものが置いてある。それだけでもういいのだ。と、威勢のいいことを言ってみる。病めばすぐに自らに刺さるだろうし、長くはもたない言葉だけれど。それでも、『書きたい』と思うのだ。

僕は相変わらずポンコツで、頭も要領も悪い。
結局、下手の横好き。それに変わりはないのだ。

「ごちそうさま」を言った。
さあ、次はペンを執ろう。
そして書いていこう。書き続けていこう。この場所で。

これからも、やっていきます。よろしくお願いします。

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