休むこと。

休みだ。1ターン休み。

今日は久しぶりに『休む』だけの一日を送りました。
やっぱりちゃんと休みはとろうと思いました、まる。


……ただそれだけの一日だったのだけれど、それだけじゃ味気無さすぎるから何か思いつくままにつらつらと書いていこうと思う。

最近の僕は少し感覚が鋭敏になっていて、世界の解像度が上がっていた。
そうなってしまうと色々面倒で、世界の全てが僕に対する攻撃だと思ってしまうし、何かが実際に心臓に刺さっていっているような不快感がする。たぶん僕を端から見た人は「なんでそんなことでへこんでいるんだ」と思うだろう。でも、隙あらばそんなことにずっと落ち込んでいたり、七転八倒したりしている。
困ったことに、この状態は案外仕事で役に立つことがある。
業務の中に膨大なものの中から一つを抽出する、みたいなことがあるのだけれど、そういう時に感覚が鋭敏になっているとけっこう楽だ。集中しなくとも集中して目を力強く見開いているからだろう。幸運なことに周囲の環境は常に快適で、鋭敏になっても余計なリソースを割かなくて済むから、メリットを多く享受できる。ただ、疲れる。とても疲れる。普段の業務とさして変わりはなくとも、帰ってきた後の虚脱感や肩こり(腰痛も来た)がきつい。それに最近わかったのだけれど、その状態を維持していると休みを休みとしてとれなくなる。鋭敏になった時は基本的に焦燥感に見舞われているから、虚脱から抜けると焦燥感、焦燥感が抜けると虚脱感、と悪魔的なループを始めていくのだ。休みの中も何かしなければと焦り、でも終われば虚脱感に襲われ、ゆっくり一息する暇もない。
そういう時は何かの力を頼るしかなくて、頓服の薬を処方通りに飲み、借金玉先生の本の一番好きな一節を音読して布団に入り、次の休みは何もしないぞと念じて眠る。そうすると少し世界の解像度が下がってきて、思考も感覚も曖昧にぼやけていく。今日もしっかり頓服を飲んで寝ていた。おかげさまでちゃんと『何もしない』一日が送れた。ありがとう借金玉先生、ありがとうソラナックス。
と、そんな緊急避難的な行動をとらざるをえない日々が続いていた。
部屋は本質になってるし、年末によくあるベージュの紙の提出も済んでない。シナリオの原稿は10%程度。セッションの準備は……まあ、今のところは大丈夫だ。タイトなスケジュールだけれど問題ないと信じている。諸々月ごとに発生する料金の支払いも少し遅れたけどちゃんとやった。
そうやって一つずつ拾い上げていくと、案外最低限度はやっているじゃないか、とも思う。けれど常にそびえ立つ無力感が僕を見下ろしているのだ。何もできていないことはないし、少なくとも行政から催促が来たりしている訳でも、社会的怒られが発生するようなことをしている訳でもないのに。ただ『お前は何もできていない』と自分自身に叱られている。駄目な部分に虫眼鏡を当てて、それだけしか見えなくなってしまうのだ。……と、そんなことを誰かが鬱の症状として絵にしてTwitterにあげていたな。そうか僕は鬱なのか。知ってた。既に抗うつ剤だって飲んでいる。
結局鬱だと断じられても、誰かが代わりに人生をやってくれることもないし、寄り添ってくれる人だって見つからない。心療内科で出してくれる薬も杖という表現が一番合っているだろう。カウンセラーだって、たまに居て調律してくれる人でしかないのだ。
歩いていくのは自分だ。他に誰でもない、この足で常に歩かなければ……。そう考えると、『休みをとるのは当たり前じゃないか』ということにやっと気づけた。自分は常に他人より劣っているから、歩くのが遅いから、と焦燥感と共につい休まないようにしてしまうのだけれど、そんなものは休まない正当な理由にはならない。最近それなりの経験を積んだ登山者の動画を見ている。もちろん適切な休み方も解説されている。趣味で登山をするような体力や持久力のある方でも、休憩はするのだ。
歩き続けるために、適切な休憩をとる。当たり前のことなのに、何故だか医者にかかったり、画面の向こう側の誰かに言われたりしないと気づけなくなってしまう。そうやって気づけないまま、人間はふらっと線路に飛び込んでしまうのだろう。死が休憩の片道切符に見えてしまうから。
人に休めと言うのは無責任なのかもしれないけど、『休め』と言える人間になりたい。だって、他にもやりようはあるかもしれないのに、休まずに擦り切れて、休んだ方がいいと気づけずに向こう側にいってしまうなんて悲しいじゃないか……と思うから。これは残されてしまう側からの意見で、すごくブーメランが頭に刺さっているんだけれど。

やっていきましょう。人に休めと言えるように。少なくとも僕自身が向こう側にいって先例になってしまわぬよう。日々をやっていくのが、結局今の僕にできることだから。
皆さんも、休みはちゃんととりましょう。何もかもが擦り切れて、片道切符を握って向こう側にいく前に。そうなってしまうのはとても悲しいことだから。

今日も一日『休み』を頑張りました。明日からまたやっていきます。
おやすみなさい。

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