僕の人生の師匠について。


筆が乗らない夜は、人生の師匠の零した弱音を思い出す。


大学に入って、僕は人生の師匠と呼ぶ人に出会った。

きっかけは、年次が進んだときに決めなければならないゼミの抽選に落ちたことだろうか。
どうやら第一希望が一番人気で、第二希望は二番人気だったらしい。僕は第三希望のゼミに配属された。なんで第三希望にそのゼミの名前を書いたか全く覚えていないけれど。

そこで僕は後の人生の師匠である、ゼミの先生に出会う。その人はいつもぱっちりした目を輝かせて楽しそうに喋り、よく笑う人だった。自分の知らない知識には非常に貪欲で、爛々とした瞳で話を促していた。授業も適当な部分と練られた秀逸な例えが見事に調和した、飽きさせない授業だった。


ゼミ自体も異様な人間が集まる、異様なゼミだ。一番人気のゼミに受かった同学年のU助くんが真面目にエディプスコンプレックスについてのスピーチをやっている中、僕はゼミの課題で某有名会社の某有名スナック菓子の歴史をレジュメにまとめていた記憶がある。ゼミメンバーの中には性風俗について真面目にスピーチをした人もいたし、高校野球について熱く語った人もいたっけか。気が付いたら授業に顔を出さない先生曰く『ツチノコ』になっていた人もいたし、後に卒業式で表彰される、学業優秀者に選ばれた人もいた。とあるスポーツで全国レベルの代表になった人もいたし、とにかく『多様性』あふれるゼミだったと思う。


そんなゼミで自由研究・スピーチとレジュメで発表、というサイクルを繰り返す中で、僕は先生への敬意を深めていった。どんな話題でも、新鮮さを忘れず咀嚼する姿勢は今でも純粋にカッコいいと思う。相手は二十そこらのガキなのに、話を聞く姿勢は常に謙虚だった。先生は髪はボサボサだし、いつも同じヨレヨレのポロシャツを着てるし、シャツはズボンにインが基本だ。でも、そんな先生がめちゃくちゃ僕にとってはカッコよかったのだ。『こうありたい』と思う理想だったのだ。人生の師匠と仰ぐのには、大した時間はかからなかった。

そして、僕の人生の師匠はハチャメチャに面倒見がいい。頼まれれば別のゼミでも卒業論文の添削をしていたし、在学中からメンがヘラっていた生徒(主に僕だ)の支援をしていた。さらにそれは卒業してからも変わらず、仕事をやめる瀬戸際の時に相談メールをしたら即座にレスポンスを返してくれたし、その時に誘ってくれた新宿のインド料理屋のカレーの味を今でも覚えている。

なんの話をしたかったんだっけ。そうだ。人生の師匠の弱音の話を書きたかったんだ。


僕の視点からだと人生の師匠はスーパーマンであり、救世主みたいな存在だ。でもちゃんと人間でもある。めちゃくちゃ仲が悪い他の先生もいたし、口が軽いところもあった。そして、二十も年が離れた僕に、少しとはいえ弱音を零すこともある人間だった。


師匠の名誉もあるから詳しくは書かない。
でも、「不安なことってあるよね」と師匠はこそっと口にした。年齢は離れているけれど、僕は師匠の状況はある程度知っていて、さらに内容もとても共感できる内容だ。「そうですね」と頷いた僕に、師匠は少しだけ弱々しそうに、自らの不安を吐き出した。けれど一連の話が聞き終わる頃には、師匠の瞳にはいつも通りの輝きが戻っていて、
「でも、やっていくしかねぇんだよな」
と、前を向いていた。僕は頷くことしかできなかった。けれど、その「やっていくしかない」という言葉は、自分にとっても刺さるものだったから、しっかりと心に刻み付けた。


「やっていくしかない」。「やっていきましょう」。


奇妙にも同時期に僕の心に刻みついた言葉だ。前者はリアルの人生の師匠から、後者はネットの海で出会った顔も本名も知らない御仁から。

筆が進まずとも、不安だろうと、「やっていくしかない」。そして僕は二人に倣って、「やっていきましょう」と声に出してつぶやくのだ。


筆が乗らないわりには書けたかな。
ネットの氏は体調が心配だけれど、生存報告はしてくれる。
師匠とはしばらく会っていない。また生存報告をしたら、ご飯に誘ってくれるだろうか。元気かなぁ、師匠。


自分的に、早めな時間帯だ。のんびり寝ようと思います。おやすみなさい。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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