見出し画像

【転職の考え方㉕】コーポレートバリューよりもマーケットバリューを!

今思い返せば、メガバンク時代の働く目的とは、ひとえに「コーポレートバリューを如何に高めるか」だったと思います。シンプルに言い換えれば、如何にメガバンク内で出世をするか、ということであり、顧客第一主義とか、自己啓発とか、もっともらしいお題目は、こと全て、限られた出世のための椅子を如何にもぎ取るか、という椅子取りゲームの一手段に過ぎなかったのだと思います。

会社内での価値を高め、見事出世の椅子を勝ち取れば、メガバンク他、日本の大企業においてはそれなりの特権が付与されます。接待費、出張費、車、天下り先、多額の退職金、年金等々。同じような時期に入社をして同じような能力を持っていたとしても、こと、コーポレートバリューを高めることに失敗した人と、ひたすらそれを高めることに専念し、そしてそれに成功した人とでは、残りの半生の処遇が天と地ほど変わってきます。

だから皆、顧客のためでもなく、自分自身の成長のためでもなく、ただただ如何に社内の椅子取りゲームに勝ち残るか、それだけを考えるようになるのです。そのために、恥も外聞もなく、自身の能力と労力の全てをつぎ込むことができるかどうか、それがメガバンクで勝ち残るための全てなんですね。

私はそれが耐えられなかった。第一、数多いる東大・京大卒の秀才たちを退けて役員などにはなれるとも思えなかったし、それら秀才たちが、何故に少しでも会社をよくするために、顧客に喜んでもらうためにその能力と労力を使わずに、皆で椅子取りゲームに必死になっているのかが理解できなかったのです。

メガバンクとは言え、狭い囲いの中だけで自身の椅子が多少よくなっても、コーポレートバリューが高くなっても、それが何になるのか。気候変動は激しく、コロナウイルスはまん延し、戦争は起こり、誰しもが予測しないような出来事が次々に起こる、刻々と目まぐるしく変わる世の中において、コーポレートバリューなど何の役に立つだろう。

そんなものではない、本当に重要なのは自分自身のマーケットバリューです。何があっても、どこにいても、自分自身をマーケットにさらして、それでも飯を食っていける、世の中の人々に評価される、感謝される、そのような価値が重要ではないか。

そう考えて、私はメガバンクを辞めました。今現在の自分自身のマーケットバリューがどの程度なのか、たいした成果も残せていない今、それは胸を張って言えるほどのものではないかもしれませんが、それでも40歳を過ぎてセーフティーゾーンからマーケットに飛び出した自分自身のことは褒めてあげたいと思います。

メガバンクでふんぞり返っていた自分。マーケットに飛び出し、分からないことだらけ、かつての自分のかばん持ちをしていたような若者に、一から教えを乞う毎日。かつて感じたことのないようなストレスを抱えながら、それでも必死に勉強し、食らいつき、がむしゃらに働きました。全ての痛みは成長痛、と新入社員のようなことを言いながら。

40代、50代の皆さん、あなたを支えているバリューは、能力は、スキルは、いったいなんでしょうか?改めて冷静に、客観的に、自分自身の足元を見直してみてください。人生100年時代。まだまだ先は長い。本当に求められているのは、必要とされているのは、今いる狭い檻の中でだでしか通用しないような、そんなものではないはずだと切に思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?