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コロナ時代を生きぬくための聖書のことば(18)~悲しみからの再生

 喪の調べをわたしの竪琴は奏で
 悲しみの歌をわたしの笛は歌う

            ヨブ記30章31節

ある日、予期していなかった悲劇が突如として襲い、それによって、その人の人生が一変してしまうということがあるものです。
その結果、ヨブのように絶望と悲しみのどん底に沈み、一人しずかに「悲しみの歌」を歌わざるを得なくなります。
 
入江杏さんという方が、まさにその一人でした。
入江さんは、あの世田谷一家殺害事件(2000年12月30日に起きた事件で、いまだ未解決となっています)の遺族で、妻であり母であった宮澤泰子さんの姉に当たる人ですが、彼女は7年後の2007年に『この悲しみの意味を知ることができるなら』(春秋社)というタイトルの本を上梓しました。
サブタイトルに「世田谷事件・喪失と再生の物語」と付いていますように、この書は悲しみからの立ち直りの物語なのです。

「喪失と再生の物語」とひと言で表現していますが、それまでの入江さんの悲しみと苦しみの体験はどれほどのものだったか、体験していない者にとっては想像することができないでしょう。
入江さんはカトリック校で学んだ影響でしょうか。事件後、かつて構内の一角にあった聖堂の壁の十字架の道行きのレリーフを思い浮かべたそうです。
そして、なかでも倒れたイエスさまの代わりに十字架を背負わされたキレネのシモンの存在が印象深く心に残っていたようで、そのシモンに、ご自分を重ね合わせたというようなことを書いています。
 
喪失は残酷な悲嘆体験にほかなりません。
入江さんは「生きる力を奪う悲しみは、確かに悪であるかもしれない。でも悲しみを知ることは、悲しみを知らないよりは、少しはましな生きかたができるのではないかと、このごろの私には思えるのだ」と述べています。
彼女が、あの一見、難解なヨブ記を取り組まれたのは幸運なことでした。
次々と理不尽な試練に遭われたヨブの思いに心を寄せながら、こう書くに至りました。
「ヨブは、おのずと自分の悲惨な運命の原因探しをやめた。そうして初めて、神への信頼と平安な心を取り戻せていったのではないか?」。
 
このようにして入江さん自身も原因探しをやめ、「涙より(悲しむことより)も微笑むこと」を学び始めたのでした。
著書の末尾では「悲しみの意味を問い続けることは、生きる意味を問うこと」でもあるのではないかと結んでいます。


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