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コロナ時代を生きぬくための聖書のことば(14)~待ち伏せする神

サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
                      使徒言行録9章3節~4節

フランスの作家フランソワ・モーリャックが書いた作品の中に『イエスの生涯』という名著があります。若い頃手にしたものの、その時は特に心を引かれないまま本棚の奥にしまい込まれてしまったのですが、このたび取り出して改めて読んだところ、最後にパウロのことにふれて、このような文章で結んでいることに感動しました。
 
「主は、エルサレムからダマスコへ行く道の曲がり角で待ち伏せをし、サウロを、彼の最愛の迫害者をねらっている。この時以後、すべての人間の運命の中に、この待ち伏せをする神がい給うであろう」

主は、サウロ(後のパウロ)がダマスコに行く途中「待ち伏せ」したというのです。「待ち伏せ」という言葉は通常、あまりいい意味で使われません。むしろ悪者による何らかの企みとか謀略などといった意味合いで用いられることが多いのではないでしょうか。それをモーリャックはあえて神さまは曲がり角に隠れていて、やってくるパウロを「待ち伏せ」していたというのです。

主イエスは恐らくパウロを捕らえて我がものにしようと虎視眈々と狙いを定めていたに違いありません。そして、ついに誰よりも熱心なキリスト教徒迫害者だったパウロを回心に導き、あの偉大な福音宣教者へと方向転換させたのです。これは、もはや単なる「待ち伏せ」ではありません。「愛の待ち伏せ」とでも言ってよいのではないでしょうか。

「聖心の信心」の伝達者として知られている聖心会のシスター、ヨゼファ・メネンデス(1890年~1923年)という人がいます。彼女の残した手記『愛の招き』(神さまからの私的啓示などをまとめたもの)の中に、主イエスから語りかけられたこんな文章があります。

「ヨゼファ、警官が罪人を追いかけるように、わたしも罪人を追いかける。が、警官は罰するためで、わたしは赦すためだ」

これは、先に引用したモーリャックの文章と何とよく響き合うことでしょう。ここに計り知れない神の愛といつくしみがあります。その愛は何もパウロやモーリャックやヨゼファ・メネンデスにとどまらず、私たちすべての人間に及んでいるのです。

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