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コロナ時代を生きぬくための聖書のことば(6)~「人生曲線」と試練

わずかな試練を受けた後、豊かな恵みを得る。
                    知恵の書3章5節

臨床心理学という科目の中に「自己理解」を深める単元があって、私は大学の講義で必ず「人生曲線」というワークショップ型の体験学習を取り入れていました。
どの学生も意欲的に取り組んでくれるので、あっという間の1コマでした。

では、具体的にどんな体験学習だったのでしょうか。
それまでの自分の歩みを振り返って、配付した1枚のペーパーにその時々の出来事を折れ線グラフにして書き込んでもらうというものです。
横軸は年齢の刻み、縦軸は出来事の推移を表示してあるのですが、自分にとってポジティブな出来事(楽しかったことや成功したことなど)があればその線は上昇し、ネガティブの出来事(辛かったことや失敗したことなど)があれば、下降するといった具合に、その内容の程度にしたがって、いわば、それまでの人生の浮き沈みを曲線グラフにして、各自に客観視させるというものです。

生まれてからわずか20歳そこそこの学生たちであっても、例外なく人生は決して平坦ではなく、多かれ少なかれアップダウンがあったことに気づくのは、ちょっとした驚きなのです。
ですから、書き終わった途端、みな一様にため息をつきます。

その後、私のコメントの時間となり、学生に対してもっとも頂点に達した時期とどん底に至った時期をチェックするよう指示を与えます。
まだ人生経験が浅い学生が試練を受けて立ち直れなくなってしまうのは見るに忍びないことですが、どん底の時とは聖書的に言えば「試練」の時と言っていいでしょう。
しかし、どんなに些細なことであっても、そのような試練を何らかの方法や手段で克服した学生にとっては、それは人生の生きるバネとなり、それはやがては上昇へとつながっていくのです。

その辺の人生の機微を理解させながら学生たちと分かち合い、さらにこれからの夢や展望を自由に語らせます。希望の持ちにくい閉塞感の漂う時代だからこそ、若者たちにその作業が必要なのです。

試練と言っても、大きな試練もあれば小さな試練もあって多岐にわたっていますが、聖書では私たちは決して耐えられないような試練に遭わせられることはなく、神さまは試練に耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださると語っているのです(コリントへの信徒への手紙一、10章13節)。
 
試練といえば、私はピアニストの一人、舘野泉氏を思い浮かべます。
彼は今や名立たるピアニストですが、65歳のときにフィンランドでのコンサート中、突如、脳溢血で倒れて、右半身麻痺と言語障がいの後遺症を負い、医師から「ピアニストとして復帰することはもはや難しい」という宣告を受け、一時は絶望の淵に沈みました。
ところが一念発起、リハビリに専念して2年後には左手だけの演奏によって奇跡の復活を遂げるに至ったのです。
 
私はじかに舘野氏の演奏を聴いたことはありませんが、テレビで視聴したかぎりではそれまでの演奏とは遜色なく、むしろ左手から紡ぎ出される軽快さとその繊細な調べには圧倒されました。

ご自身の著書『命の響』の中で、こう書いておられます。

「あの空白は、次の世界を生み出すためになくてはならない、大切な時間でした。苦しみ悩んだ時間のすべてが、やがては心の財産となる・・」。

神さまは「わずかな試練」であっても、後に計りしれないほどの「豊かなお恵み」をくださると約束してくださっているですから、もっと深刻な試練に対しては、どれほどの祝福を与えてくださることでしょうか。

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